この名字はまだ図鑑に載っていません
全国10517位約686人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
貫(ヌキ)は美濃、豊前などにこの地名がある。豊前の貫氏は企救郡貫庄から起こる(両豊記に「豊前国貫○」)。相模平氏・長野氏の族で、大族である。応永の比、貫掃部頭がいた。応永戦覧記に「貫掃部助宗景」と載り、下って文明・大永の頃、貫重依がいた。その後、貫親○が見え、九州軍記に「弘治二年、大友宗麟が当国へ発向する。京都警馬獄に奴木親○が在住していたのを、田北・朽綱が派遣され、親清が城を明け渡して降伏する」と言う。長野条を見よ。
貫ヌキ美濃、豐前等に此の地名あり。豐前の貫氏は企救郡貫庄(兩豐記に豐前國貫〓)より起る。相武平氏長野氏の族にして、大族也。應永の比、貫掃部頭あり、應永戰覽記に貫掃部助宗景と載せ、下りて文明大永の頃、貫重依あり。その後、貫親〓·見え、九州軍記に「弘治二年、大友宗麟·當國へ發向す。京都警馬獄に奴木親〓·在住せしを、田北、朽綱を指し向けられ、親清·城を明渡して降る」と、ナガノ條を見よ。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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