国友
くにともKunitomo
全国3048位 ・ 約4,330人
国友(くにとも)は、近江国坂田郡国友庄より起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くにとも
- ローマ字
- Kunitomo
- 全国順位
- 全国3048位
- 推計人数
- 約4,330人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
国友をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kunitomo読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 石見国(島根県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
国友(くにとも)は、近江国(滋賀県)坂田郡国友庄より起こる。当国の豪族で、「江北記」に「長享元年四月三日に、多賀大成・○州より入国し、陣所は中野、弟の又三郎は国友兵庫助屋敷へ陣取り候」などと見え、京極殿給帳に「百二十石国友久右衛門」を載せている。 また田中家臣知行割帳に「二百五十石国友仁右衛門、四百六十石国友勘左衛門、千二百石国友左内、二百五十石国友奥四郎、二百石国友儀左衛門、六百石国友半右衛門、百石国友彦助」など多く見え、また久留米城十軒屋敷に「国友茂兵衛、国友○右衛門」がある(「将士軍談」)。 また原田家臣に国友六兵衛があり、朝鮮征伐に従った(「原田文書」)。また石見(島根県)にも存する。 (このあと原文は次の見出し「国豊(くにとよ)」の記事に移る) 国豊は、清和源氏で、「井上系図」に「満季―致公―小孫(国豊祖)」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
國友クニトモ近江國坂田郡國友庄より起る。當國の豪族にして、江北記に「長享元年四月三日に、多賀大成·温州より入國健.陣所は中野、弟又三郞は國友兵庫助屋敷へ陣取り候」など見え、京極殿給帳に「百二拾石國友久右衞門」を載せたり。又田中家臣知行割帳に「二百五十石國友仁右衞門、四百六十石國友勘左衞門、千二百石國友左内、二百五十石國友奥四郞、二百石國友儀左衞門、六百石圖友半右衞門、百石國友彥助」等多く見え、又久留米城十軒屋敷に「國友茂兵衞、國友〓右衞門」あり(將士軍談)。又原田家臣に國友六兵衞あり、朝鮮征伐に從ふ(原田文書)。又石見にも存す。國豐クニトヨ〓和源氏にして、井上系圖に「滿季-致公-小孫(國豐祖)」と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
国友と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
国友に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「国」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が国友の前後にある名字です。
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