国吉
くによしKuniyoshi
全国1608位 ・ 約9,920人
国吉(くによし)は、上総・陸奥・越中などにこの地名があり、これらから起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くによし
- ローマ字
- Kuniyoshi
- 全国順位
- 全国1608位
- 推計人数
- 約9,920人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
国吉をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kuniyoshi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 上総国(千葉県)
- 陸奥国(東北地方)
- 越中国(富山県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
国吉(くによし)は、上総(千葉県)・陸奥(東北地方)・越中(富山県)などにこの地名があり、これらから起こる。 【1】秦姓長宗我部氏流 ― 土佐国(高知県)国吉村から起こった豪族で、長宗我部氏の勢いが盛んになると、野中氏らとともにこれに降った。のち長宗我部元親の家臣に国吉甚左衛門がある。千余人をもって讃州(香川県)西長尾を守った。「上村」の項第三項を参照。 「全講史」に「国吉城(長尾国吉山にある)は天正八年春、土佐の元親がこの山に築き、国吉甚左衛門を将として兵一千人をこの城に置き、讃州の鎮とした。また阿波(徳島県)の大西白地との間、六里の山路を開き、軍糧の便を得た」と見え、また「尽簡集」に国吉五左衛門、のち「香宗我部文書」に「三百石国吉五左衛門」を載せる。 【2】平姓 ― 能登国(石川県)能登郡若山村にこの氏が存する。また大谷十二名の一つにもこの氏があり、平時忠の後裔という。「大谷」の項を見よ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
國吉クニヨシ上總、陸奥、越中、等に此の地名あり、此等より起る。 1秦姓長曾我部氏流土佐國國吉邑より起りし豪族にして、長曾我部の勢盛なるや、野中氏等と共に親拳に降る。後長曾我部元親の家臣に國吉甚左衞門あり。千餘人を以つて讃州西長尾を守る。上村條第三項參照。全講史に「國吉城(四長尾國吉山に在り)、天正八年春。土佐の元親·此の山に城き、國吉甚左衞門をして、兵一千人に將として此の城に居らしめ、以つて讃州の鎭と爲す。又阿の大四白地と、六里·山路を開き、軍餉·便を得。兵機自在也、」と見え、又盡簡集に國吉五左衞門、又後、香宗我部文書に「三百石國吉五左衞門」を畢ぐ。 2平姓能登國能登郡若山村に、此の氏存す。また大谷十二名の一にも此の氏ありて、平時忠後裔と云ふ、大谷條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
国吉と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
国吉に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「国」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が国吉の前後にある名字です。
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