鶴

鶴田

つるたTsuruta

全国433位 ・ 約4.8万人

鶴田(つるた)は、下野・岩代・陸奥・美作・筑前・筑後・薩摩などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
つるた
ローマ字
Tsuruta
全国順位
全国433位
推計人数
約4.8万人
全国比率
日本人のおよそ0.039%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

鶴田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tsuruta読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「鶴田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 229コマに「家紋鶴丸、三柏葉抛筆」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 陸奥国(東北地方)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

鶴田(つるた)は、下野(栃木県)・岩代(福島県)・陸奥(東北地方)・美作(岡山県)・筑前(福岡県)・筑後(福岡県)・薩摩(鹿児島県)などにこの地名がある。 【1】嵯峨源氏渡辺氏族 ― 松浦氏の一族で、『東鑑(吾妻鏡)』寛元三年の条に「鶴田五郎源馴」が見える。「松浦執行・源授と、肥前国(佐賀県・長崎県)松浦庄西郷内の佐里村、壱岐(長崎県)の泊牛牧などを相論した」とある。……(中略) そのほか、悟の弟に「源八走」、知の弟に「揚・渡(武者所)・額」などを挙げ、また『中興系図』に「鶴田、嵯峨」と見える。『北肥戦誌』に「異賊の来襲、建治二年云々、上松浦に鶴田五郎馴」を載せる。子孫は上松浦の大族として大川野城に拠った。 『肥陽軍記』に「天文十一年、龍造寺家兼が上松浦を攻め、鶴田因幡守の大川野の城を囲む」とある。また一説に「龍造寺山城守家兼は一家の兵を率いて上松浦へ出張し、鶴田兵部大輔の大河野の城を攻めようとした。鶴田は謀をもって大いにこれを破り、龍造寺盛家入道剛雲・同隠岐守・同日向守を討ち取った。家兼は怒って急に軍を発し、大河野の城を攻めたので、鶴田は降参した」とある。 また『鎮西要略』に「天文十二年、龍造寺盛家(剛運)が松浦へ行き、鶴田の獅子城に陣した」とある。また『肥陽軍記』に「天正四年、隆信が獅子城を攻める。城主は鶴田因幡守、云々」とある。また「天正五年、隆信が獅子城を攻める。城主の鶴田越前守は数日拒み戦ったが、ついに下城を乞うた」などとあるのは、いずれもこの一族である。 『佐賀古文書纂』に鶴田文書がある。また「大川野」の項を参照。後世、多久家の儒臣に鶴田平兵衛(者庵)、その子・九郎大夫(松山)があり、ともに名がある。また長崎の士に鶴田重定(閑逸)がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

鶴田ツルタ下野、岩代、陸奥、美作、筑前、筑後、薩摩等に此の地名存す。 1嵯峨源氏渡邊氏族松浦氏の族にして東鑑、寬元三年條に「鶴田五郞源馴」見ゆ。「松浦執行源授と肥前國松浦庄西郷內佐里村、壹岐泊牛牧等を相論す」と。……その他、悟の弟に「源八走、」知の弟に「揚、渡(武者所)、額」等を擧げ、又中興系圖に「鶴田、嵯峨」と見ゆ。北屍戰誌に「異賊陽來、建治二年云々、上松浦に鶴田五郞馴」を載せ、子孫·上松浦の大族として、大川野城に據る。肥陽軍記に「天文十一年、龍造寺家兼·上松浦を攻め、鶴田因幡守が大川野の城をかこむ」と又一に「龍造寺山城守家兼·一家の兵を將ゐて、上松浦に出張し、鶴田兵部大輔が大河野の城を攻んとす。鶴田·謀を以つて大に是を破り、龍造寺盛家入道剛雲、同隱岐守、同日向守を討ち取る。家兼·怒りて急に軍を發して大河野の城を攻め、鶴田·降參す、」と。また鎭西要略に「天文十二年、龍造寺盛家(剛運)·松浦に如き、鶴田獅子城に陣す」と。また肥陽軍記に「天正四年、隆信·師子城を責む、城主鶴田因幡守云々」と。また「天正五年、隆信·師子城を貴む、城主鶴田越前守·數日拒ぎ戰ふと雖、遂に下城を乞ふ」などある、皆此の族也。佐賀古文書纂に鶴田文書あり、又大川野條參照。後世、多久家儒臣に鶴田平兵衞(者庵)、その子九郎大夫(松山)、共に名あり。又長崎の士に鶴田重定(閑逸)あり。

姓氏家系大辞典 第4巻 228コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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