辛島
からしまKarashima
全国4304位 ・ 約2,660人
辛島(からしま)は、韓島氏と同じ。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- からしま
- ローマ字
- Karashima
- 全国順位
- 全国4304位
- 推計人数
- 約2,660人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
辛島をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Karashima読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 肥後国(熊本県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
辛島(からしま)は、韓島氏と同じ。 【1】辛島勝 ― 「東大寺要録」第四に「中間正六位上辛島勝与曾女を禰宜となす」とあり、これは天平八年のことで、宇佐八幡宮の禰宜職に就いたことをいう。これより前、欽明天皇の御代に辛島勝乙目があり、大神比義とともに宇佐八幡宮の祝となった。「宇佐縁起」には「和銅元年云々、辛島勝自」に作る。「託宣集」によれば、乙目が正しいとすべきである。 同五年に鷹居瀬社を造り、「辛島勝乙目を祝職とし、同勝意布売を禰宜とし、乙目の妹黒比売を采女とする。あわせて御刀代田二段を進める。次に辛島勝波豆米を禰宜とする」とある。……(中略) 【2】辛島氏 ― 辛島勝の後裔である。肥後(熊本県)にもこの一族が存する。天文・永禄の頃に辛島並照がある。また「豊鐘善鳴録」に「釈頼厳は宇佐郡辛島村の人で、姓は藤氏、赤髪将軍の後裔である」と見え、後世は藤原氏と称したもののようである。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
辛島カラシマ韓島氏に同じ。參照せよ。 1辛島勝東大寺要鋒第四に「中間正六位上辛島勝與曾女を禰宜となす」と天平八年の事にて、宇佐八幡宮の禰宜職となりしを云ふ。これより前、欽明天皇の御世、辛嶋勝乙目あり。大神比義と共に宇佐八幡宮の祝となる。宇佐緣起には「和銅元年云々、辛島勝自」に作る。託宣集によりて、乙目を是とすべし。同五年、鷹居瀨社を造る、「辛島勝乙目を視職と爲し、同勝意布賣を福宜と爲し、乙目の妹黑比賣を采女と爲す。並に御刀代田二段を進む。次に辛島勝波豆米を禰宜と爲す矣」とあり。……2辛島氏辛島勝の後裔なり、肥後にも此の族存す。天文永祿の頃辛島並照あり。又豐鐘善鳴錄に「釋賴嚴、字佐郡辛島村の人、姓藤氏、赤髪將軍の後裔也」と見ゆ。後世藤原氏と云ひしが如し。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
辛島と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
辛島に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「辛」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が辛島の前後にある名字です。
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