菱

跡部

あとべAtobe

全国4342位 ・ 約2,620人

跡部(あとべ)は、阿刀部と同じ。

2件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
あとべ
ローマ字
Atobe
全国順位
全国4342位
推計人数
約2,620人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

跡部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Atobe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「跡部」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 76コマに「家紋松皮蔓とあり」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 伊勢国(三重県)
  • 美濃国(岐阜県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

跡部(あとべ)は、阿刀部と同じ。 【1】河内(大阪府)の跡部 ― 河内国盡川郡に跡部郷があり、「和名抄」に阿止倍と注する。また神名式に同郡の跡部神社がある。 【2】伊勢(三重県)の跡部 ― 伊勢国安濃郡に跡部郷があり、阿刀部のあった地である。跡部の項を参照。「和名抄」に阿度倍と注する。安濃郡専当沙汰文に跡部宮内尤、跡部牛四郎らが見え、阿刀部の後裔であろう。 【3】美濃(岐阜県)の跡部 ― 「和名抄」本巣郡ならびに武芸郡に跡部郷がある。阿刀部すなわち跡部の住んだ地である。阿刀部の項を参照。武芸郡(山県郡)内の跡部には跡部城があって跡部将監が拠った。将監ははじめ土岐氏に、後に義龍に仕えた。 【4】信濃(長野県)の跡部 ― 小県郡に跡部郷があり、古代の跡部が住んだ地である。「霊異記」には小県郡跡目里と見える。 【5】清和源氏伴野氏流 ― 信濃の跡部である。「尊卑分脈」に伴野時長 ― 六郎長朝(阿刀部と号す)― 孫三郎秦時と見える。佐久郡にも小県郡にも跡部があり、いずれが本貫か。「寛政系譜」はこの流の跡部氏七家を掲げ、行忠を祖とし、家紋は松皮菱とある。(阿刀部参照。) 【6】甲斐(山梨県)の跡部氏 ― 信濃の跡部と同族である。すなわち古代の跡部の裔であるが、後に小笠原長○の男・伴野六郎時長の次男・孫六郎長朝がその姓を冒した。子孫は信濃・甲斐の間に多い。 本国では跡部駿河守明海、同上野守最家の父子が武田氏の守護代となり、権勢をふるうこと四十年に及んだ。平塩寺過去帳に跡部常賀、同蔵人太夫昌○、同上野守雄照らが見える。……(この間、原文の行が崩れて読み取れない)……明海、同式部少輔、同大膳佐善意、同上野守景家らが見える。信昌に至って、その党を誅した。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

跡部アトベ阿刀部に同じ。 1河内の跡部河內國盡川郡に跡部〓あ".和名抄阿止倍と註す、又神名式同郡に跡部神社あり。 2伊の跡部伊勢國安濃郡に跡部〓あ阿刀部のありし地なり、跡部條をリ、和名抄阿度倍と註す、安東郡專當沙汰文に跡部宮内尤、跡部牛四郞等見ゆ、阿刀部の後裔なるべし。 3美濃の跡部和名抄本集郡並に武藝郡に跡部〓あり、阿刀部卽ち跡部の住みし地なり、阿刀部條を見よ。内武藝郡(山縣郡)の跡部には跡部城ありて跡部將監據る、將監初め土岐氏、後義龍に仕ふ。 4信濃の跡部小縣郡に跡部〓あり、古代跡部の住みし地なり。靈異記には小縣郡跡目里と見ゆ。 5〓和源氏件部氏流信濃の跡部也。尊卑分脈に伴野時長-六郞長朝(號阿刀部)-孫三郞秦時と見ゆ。佐久郡にも小縣郡にも跡部あり、就れ本貫か。寬政系譜此の流跡部氏七家を揭ぐ、行忠を祖とし、家紋松皮蔓とあり。(阿刀部參照。)6甲斐の跡部氏信濃跡部と同族なり、卽ち古代跡部の裔なれど、後小笠原長〓の男伴野六郞時長の次男孫六郞長朝その姓を冐す。子孫信甲の間に多し。本州にては跡部駿河守明海、同上野守最家父子、武田氏の守護代となり權を弄する事四十年に及ぶ。平鹽寺過去帳に跡部常賀、同藏人太夫昌〓、同上野守雄照、同腹河守紋組和名抄大分郡に跡部〓和名抄安農郡に跡部〓明海、同式部少輔、同大膳佐善意、同上野守景家等見ゆ。信昌に至りその黨を誅す。

姓氏家系大辞典 第1巻 76コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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