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全国19984位約235人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
跡見(あとみ)と跡部に関係があるかは不明である。伝説によれば、跡見は赤棒の子孫である。赤橋は天穗子命の子孫であり、用明天皇の時代に聖徳太子に従い、城を築いて占拠していた守屋大連を射殺し、その太子が四天王寺を建立した時に木津浦に来て住んだ。27世跡見重房の次男資重が天台に入り、33世跡見治郎右衛門光重に至って蓮如上人に会い、真宗に帰依したと言う。その子孫は唯専寺の住職であり、摂津(大阪府・兵庫県)の名家とされる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
跡見アトミ跡部と關係あらざるか。傳說に據れば、跡見赤棒の後裔也。赤橋は天穗子命の裔にして、用明天皇の朝聖德太子に隨ひ、稍城を築きて據れる法敵守屋大連を射殺し、同太子の四天王寺を建立せられし時木津浦に來り住す、二十七世跡見重房の二男資重、天台の門に入り、三十三世跡見治郞右衞門光重に至リ蓮如上人に謁し眞宗に歸依すと云ふ。其の後裔唯專寺の住職也、攝津の名家とす。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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