藤林
ふじばやしFujibayashi
全国2046位 ・ 約7,340人
藤林(ふじばやし)は、 【1】大神姓緒方氏族 ― 豊後の豪族で、「藤林系図」に「大藤大夫惟基―白杵冠者惟盛―二郎惟衡―二郎惟用―惟方三郎惟栄(正治元年○死す)―…
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふじばやし
- ローマ字
- Fujibayashi
- 全国順位
- 全国2046位
- 推計人数
- 約7,340人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
藤林をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fujibayashi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「藤林」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
鱗
三角形を三つ積んだ図案。
三本杉
枝を段に張った杉を三本、中の一本を高く立てた図案。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 348コマに「家紋三鱗形、三本杉、左巴」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 豊後国(大分県)
- 豊前国(福岡県・大分県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
藤林(ふじばやし)は、 【1】大神姓緒方氏族 ― 豊後(大分県)の豪族で、「藤林系図」に「大藤大夫惟基―白杵冠者惟盛―二郎惟衡―二郎惟用―惟方三郎惟栄(正治元年○死す)―豊前守兼朝―左近衛惟兼―左近伊綱―右衛門尉文光(藤林を称す)―五兵衛常光―太郎左衛門尉朝定(尊氏に仕え、摂津桜井荘・山城横大路村を与えられる)―豊後守朝光(弟に朝○十郎弐隆がある)―兵庫助定次(左兵衛定○)、弟次郎左衛門尉定久(緒方、山城横大路城主)」とある。 さらに「―四郎左衛門尉惟定(○の乱で討死、了道)―長門守時定(奥三左衛門尉、与一、応仁のとき勝元方)―与三左衛門綱光(兄弟に勧解由左衛門伊藤守政光、奥三郎政定、与七惟光、春林永秀などがある)―右衛門少尉守○―肥後守綱宗―伊賀守綱次(信長・秀吉などに仕える)―源七郎綱久(道寿)―源七郎照綱―玄栄(玄常、道寿)」と続く。綱久は家康に仕えた。 「寛政系譜」に「家紋、三鱗形、三本杉、左巴」とあり、また「中興系図」に「藤林、大神、本国豊後、紋は三本杉左巴。緒方三郎惟栄の末」と見える。 【2】和泉(大阪府)の藤林氏 ― 和泉郡大津城(大津邑)は藤林民部大輔らが守っていたが、天正年中に廃した。 【3】雑載 ― 茶道石州(島根県)流の祖・片桐貞昌の門人に宗源藤林助之丞真良(鴎軒庵)があり、その子・助之丞直富は宗理といい、その子・神谷宗国(寿事)などが、みな名高い。また粟田口国家の長男・国友は藤林と称し、また藤林左寄門尉などが見える。○中、大和(奈良県)に住む。また山城国(京都府)綴喜郡普賢寺邑の人・藤林泰助元紀は和漢の学に通じ、また○として名がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
藤林フヂバヤシ1大神姓緒方氏族豐後の豪族にして、藤林系圖に「大藤大夫惟基-白杵冠者惟盛-二郞惟衡-二郞惟用-惟方三郞惟榮(正治元、十十五死)-豐前守兼朝-左近衞惟兼-左近伊綱-右衞門尉文光(藤林を稱す)-五兵衞常光-太郞左衞門尉朝定(尊氏に仕へ、攝津櫻井庄、山城横大路村を與へらる)-豐後守朝光(第に朝Q十郞貳隆あり)-兵庫動定次(左兵衞定〓)、弟次郞左衞門尉定久(緒方、山城橫大路城主)-四郞左衞門尉惟定〓吉亂討死、了道)-長門守時定(奥三左衞門尉、與一、應仁勝元方)-與三左衞門綱光(兄弟に勸解由左衞門伊藤守政光、奥三郞政定、與七惟光、春林永秀等あり)-右衞門少尉守〓-肥後守綱宗-伊賀守綱次(信長、秀吉等に仕ふ)-源七郞綱久(道壽)-源七郞照綱-玄榮(玄常、道壽)」と綱久·家康に仕ふ。寛政系譜に「家紋三鱗形、三本杉、左巴」とあり。又中興系圖に「藤林·大神、本國豐後、モン三本杉左巴。〓方三郞維榮末」と見ゆ。 2和泉の藤林氏和泉郡大津城(大津邑)は藤林民部大輔等·據守せしが、天正年中廢す。 3雜載茶道石州流祖片桐貞昌の門に宗源藤林助之丞眞良(鷗軒庵)あり、その男助之丞直富は宗理と云ひ、その男神谷宗國(壽事)等皆名あり。又栗田口國家の長男國友は藤林と稱し、又藤林左寄門尉など見ゆ、元層中大和に住す。又山城國續喜郡普賢寺邑の人藤林泰助元紀は學和漢に通じ、又として名あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
藤林に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が藤林の前後にある名字です。
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