丸に九枚笹

竹井

たけいTakei

全国1337位 ・ 約1.3万人

竹井(たけい・たけのい)は、羽前・筑後などにこの地名があり、なお武居・武井とも通じる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たけい
ローマ字
Takei
全国順位
全国1337位
推計人数
約1.3万人
全国比率
日本人のおよそ0.010%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

竹井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takei読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「竹井」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 6コマに「家紋丸に九枚笹、井筒」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 羽前国(山形県)
  • 筑後国(福岡県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

竹井(たけい・たけのい)は、羽前(山形県)・筑後(福岡県)などにこの地名があり、なお武居・武井とも通じる。 【1】大江姓(後に藤原姓)― 筑後国山門郡竹井邑から起こる。筑後近藤氏永仁五年十月二十二日の譲状に「竹井の四郎兵衛尉道に売り渡すといえども、御徳政によってこれを取り返す」とある。……また近藤系図に浪江信雄の三男として竹井実喬を挙げる。 【2】また鎮西引付、武蔵修理亮英時の代に竹井十郎入道を載せ、次に「太平記」巻九に竹井太郎、同掃部左衛門尉がある。六波羅の士で、近江番場蓮華寺過去帳には「竹井太郎盛允、同掃部左衛門尉貞昭」と見える。 【3】藤姓竹屋氏族 ― 武蔵国(東京都・埼玉県)の名族で、「新編風土記」大里郡の条に「竹井氏(熊谷町)。先祖は竹屋右衛門督兼俊の後胤、藤原俊信の長男竹井新左衛門尉信武に出る。信武の母は別府尾張守長吉の娘で、天文二十二年五月十七日、出産の時に庭前の井戸の中に竹が生えたことから、竹屋氏の祥瑞であるとして竹井氏に改めたという。 信武の父俊信は後奈良院の北面であったが、故あって勅勘を蒙り、当国別府に蟄居し、信武出生の後に勅勘のお許しがあったので、信武をここに留めて自分は帰京した。信武には二子があり、長男は出家して栄光と称し、村内石上寺を開いた……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

竹井タケキタケノヰ羽前、筑後等に此の地名存し、なほ武居、武井と通ず。 1大江姓(後藤原姓)筑後國山門郡竹井邑より起る。筑後近藤氏永仁五年十月廿二日の讓狀に「たけのゐの四らうひやうえにうどうに、うりわたすといへども、御とくせいによて、これをとりかへす」と。……また近藤系圖に浪江信雄の三男に竹井實喬を擧ぐ。 2又鎭四引付武藏修理亮英時代に、竹井十郞入道を載せ、次に太平記卷九に竹井太郞、同掃部左衞門尉あり。六波羅の士にて、近江番場蓮華寺過去帳には「竹井太耶盛允、同掃部左衞門尉貞昭」と見ゆ。 3藤姓竹屋氏族武藏國の名族にて、新編風土記、大里郡條に「竹井氏(熊谷町)。先祖は竹屋右衞門督兼俊の後胤、藤原俊信の長男竹井新左衞門尉信武に出づ。信武の母は別府尾張守長吉の女にて、天文二十二年五月十七日出產のとき庭前井中、竹を生ぜしゆへ、竹屋氏の祥瑞なりとて、竹井氏に改めしとなり。信武の父俊信は、後奈良院の北面なりしが、故有リて勅勘を蒙り、當國別府に蟄居し、信武出生の後、勅勘の御ゆるしありしかば、信武をば、こゝに留めて歸京せり。信武に二子あり、長男は出家して榮光と稱し、村内石上寺を開けり。

姓氏家系大辞典 第4巻 6コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

竹井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

竹井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が竹井の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →