海老沢
えびさわEbisawa
全国1336位 ・ 約1.3万人
海老沢(えびさわ)は、常陸国茨城郡(鹿島郡)海老沢邑から起こり、海老沢城に拠る。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- えびさわ
- ローマ字
- Ebisawa
- 全国順位
- 全国1336位
- 推計人数
- 約1.3万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.010%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
海老沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ebisawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 常陸国(茨城県)
- 信濃国(長野県)
- 上野国(群馬県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
海老沢(えびさわ)は、常陸国(茨城県)茨城郡(鹿島郡)海老沢邑から起こり、海老沢城に拠る。光明寺の棟札に「村木、海老沢氏民部忠、天文五丙申」とあり、また天正十六年五月二日の古簡に海老沢弾正忠が見える。また下野高田専修寺聖人印信状に「三十一番海老沢大学時道」とあり、その子孫は高田山の隣○(一字不明)三谷村にあり、また真岡にも海老沢氏があって、共に時道の末孫であるという。信濃(長野県)にもこの氏がある。 (このあと原文は次の見出し「俘囚(ふしゅう)」の記事に移る)「和名抄」上野国(群馬県)碓氷郡に浮囚郷があるのは俘囚の誤りである。また同国多胡郡にも浮囚郷があり、また緑野郡にも同名の郷があり、また周防国(山口県)吉敷郡にも俘囚郷がある。 俘囚とは、蝦夷(北海道)との交戦の結果捕虜とした蝦夷人をいい、夷俘と同じである。「天武紀」十一年に俘人を登利古と訓じ、「類聚名義抄」は俘囚を布之由と訓じ、「伊呂波字類抄」には布之由、または衣比須と訓ずる(「地理志料」)。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
海老澤エビサハ常陸國茨城郡(鹿島郡)海老澤邑より起り、海老澤城に據る。光明寺の棟札に「村木、海老澤氏民部忠、天文五丙申」と、又天正十六年五月二日の古簡に海老澤彈正忠見ゆ。又下野高田專修寺聖人印信狀に「三十一番海老澤大學時道也」と其の子孫は高田山の隣〓三谷村にあり、また眞岡にも海老澤氏ありて、共に時道の末孫なりと云ふ。信濃にも此の氏あり。俘囚エレス和名抄上野國碓氷郡に浮囚挪あり、俘囚の誤也。又同國多胡郡にも浮囚〓あり、又綠野郡にも同名〓あり、又周防國吉敷郡にも俘囚〓あり。俘囚とは蝦夷との交戰の結果捕虜とせし蝦夷人を云ふ、夷俘に同じ。天武十一年紀に俘人を登利古と訓じ、類藥名義抄は俘囚を布之由と訓じ、伊呂波字類抄には布之由、又は、衣比須と訓ず、(地理志料)。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
海老沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
海老沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「海」の字を含む名字
「老」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が海老沢の前後にある名字です。
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