丸に引両

成田

なりたNarita

全国183位 ・ 約12万人

成田(なりた)は、伊豆・相模・常陸に成田庄、下総に成田○があり、そのほか武蔵・下総・磐城・岩代・陸中・羽前などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
なりた
ローマ字
Narita
全国順位
全国183位
推計人数
約12万人
全国比率
日本人のおよそ0.094%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

成田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Narita読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「成田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 507コマに「家紋丸に橫三引、五三桐」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊豆国(静岡県)
  • 相模国(神奈川県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

成田(なりた)は、伊豆(静岡県)・相模(神奈川県)・常陸(茨城県)に成田庄、下総(千葉県・茨城県)に成田○があり、そのほか武蔵(東京都・埼玉県)・下総・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽前(山形県)などにこの地名がある。 【1】藤原北家 ― 武蔵国幡羅郡の成田邑から起こった。成田系図に「謙徳公の孫・基忠―宣直(騎西郡司)―曾孫の成田大夫助高」と載せ、また家譜には「伊尹の子・義孝の二男、武蔵守忠基の子孫」とする。 ただし『藩翰譜』には次のようにある。「成田左馬○ 藤原氏範は、法成寺関白太政大臣道長公の御孫、式部大輔任隆の末葉である。はじめ任隆が武蔵国の国司に任じられて武蔵へ下って住んだ。その子の式部大輔助隆に四人の男があり、嫡男は成田と名乗り、二男は別府、三男は奈良、四男は玉井と名乗って、これらの子孫を世の人は武蔵の四家と申した。これはその家に伝わるところである。成田五郎、別府小太郎などという者が古い物語などに見えるのは、これらのことである。ただし新たに系図を見ると、道長の御孫の中に任隆という人は見えない」。 また『旅宿問答』(永正四年、僧覚重の作。『湘山星移集』は本書の抄文である。『大日本地名辞書』による)に「関白道長の孫・式部大輔任隆が武州の太守として下向し、幡羅の郡におられた。郡の人々はこれを称して幡羅太郎と号した。この曾孫に成田の三位式部大輔助隆があり、これは八幡殿(源義家)の伯父と申し伝える。助隆に四人の子があり、嫡子が家を継ぎ、次男は別府、三郎は奈良、四郎は玉井、云々」とある。 思うに、古くは道長の子孫と伝え、後に伊尹の子孫と改めたのだろうが、どちらにしても、そのような人物が確かな史料に見えないので疑わしい。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

成田ナリタ伊豆、相摸、常陸に成田庄、下總に成田〓、その他、武蔵、下總、磐城、岩代、陸中、羽前等に此の地名存す。 1藤原北家武藏國幡羅郡成田邑よリ起る。成田系圖に「謙德公の孫·基忠-宣直(騎四郡司)-曾孫成田大夫助高」と載また家譜に「伊尹の子義孝が二男武藏守忠基の後」とせり。されど藩翰譜には「成田左馬尤藤原氏範は、法成寺國白太政大臣道長公の御孫、式部大輔任隆の末葉なり。初め任隆·武藏國の國司に任じ、當國幡羅郡に下り住む。其の子式部大輔助隆に四人の男あり、嫡男は成田と名のリ、二男は別府、三男は奈良、四男は玉井と名のりて、是等が子孫は、世の人·武藏の四家とぞ申しける。是れ其の家の傳ふる所なり。成田五郞、別府小太郞などいふ者、古き物語等に見えしは、是等が事なり、但し新鍋纂圖を見るに、道長豐前に在り。便宜上、ナルサハ條に收公の御孫の中に任隆といひしは見えざるか」と又旅宿問答(永正四年、儈覺重が獨。湘山星移集は本書の抄文なり。地名辭書)に「關白道長の孫·式部大輔任隆、武州の太守として下向し、幡羅の郡に御座す。郡徒之を稱して幡羅太郞と號せり。此の曾孫に成田の三位式部大輔助隆、是れ八幡殿の伯父と申し傳へたり。助隆に四人の子有り。嫡子家を次ぎ、次男は別府、三郞は奈良、四郞は玉井云々」と。蓋し古く道長の裔と傳へ、後に伊尹裔と改めしならんも、就れより云ふも、かゝる人·正確なるものに見えざれば疑ふべし。

姓氏家系大辞典 第4巻 505コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

成田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「成田」で始まる・成田を含む名字

成田の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が成田の前後にある名字です。

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