島上
しまがみShimagami
全国9521位 ・ 約805人
島上(しまかみ)は、摂津国島上郡が古代の三島県(郡)の一部であり、「和名抄」に志末乃加美と注する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- しまがみ
- ローマ字
- Shimagami
- 全国順位
- 全国9521位
- 推計人数
- 約805人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
島上をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shimagami読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
- 河内国(大阪府)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
島上(しまかみ)は、摂津国(大阪府・兵庫県)島上郡が古代の三島県(郡)の一部であり、「和名抄」に志末乃加美と注する。すなわち「雄略紀」七年、「欽明紀」二十三年などには三島郡とあるが、和銅四年正月紀、天平勝宝八歳十二月十六日の水無瀬絵図などにはこの郡名が見える。……(中略)「島岐」の項を参照。 (このあと原文は次の見出し「島岐」の記事に移る) 島岐(しまき)は、史姓で、河内(大阪府)の古族であり、高麗族である。すなわち「姓氏録」右京諸蕃に「島岐史は、高麗国の人・能祁王から出た」と見える。川瀬造や信濃(長野県)などにもこの氏がある。……(中略) 「政幹の子・長幹、その子・忠宗、その子・重幹は大炊助と称した。乾元元年、鹿島大使であった(「大使役記」)。子の吉幹は左衛門尉、その弟の利幹が跡を継ぎ、さらに安定と改め(「系図」)、彦四郎と称し(延方村神祠棟札)、また大炊助であった。 応永二十三年、上杉禅秀が足利持氏を襲うと、持氏は逃れて佐介に走り、安定らがこれを護衛した(「大草紙」「系図」)。安定はこの月に没しており、おそらく戦死したのであろう。子の長国は尾張守であった(「本土寺過去帳」)。文明二年、寺を創建して大興山長国寺と称した(「系図」)。 二子の忠幹・日精といい、忠幹は左衛門尉、兵庫頭と称した(「系図」「本土寺過去帳」)。子の利幹のとき、大永五年、鹿島義幹が襞臣を用い、臣民はその苛虐に苦しんだ。利幹はそのために義幹を追放した(「鹿島治乱記」)。天文五年、玉造宗幹と南郷で感応した(「富田系図」)」と。 また「初め行方氏の一族が行方の地方を領していた。ところが島崎氏は忠幹以来、四隣を侵し奪い、兵勢はしだいに盛んになった。一族は互いに相争い、争乱がやまない年はなかった。足利晴氏が書を下してこれを禁じたが、ついにその略奪を抑えることができなかった……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
島上シマカミ攝津國島上郡は古代三島縣(郡)の一部にして、和名抄に志末乃加美と註す。卽ち雄略紀七年、欽明紀二十三年等には三島郡とあれど、和銅四年正月紀、天平勝寶八歲十二月十六日水無瀬繪圖等には此の郡名見ゆ。……島岐シマキ次條參照。〇島岐史河内の古族にして、高麗族なリ。卽ち姓氏錄、右京諸蕃に「鳥岐史、高歷國の人·能祁王よリ出づる也」と見えた川瀨造の信濃等にも此の氏あり。……政幹の子長幹、その子忠宗、その子重幹·大炊助と稱す。乾元元年、鹿島大使たり(大使役記)。子吉幹·左衞門尉、其の弟利幹嗣ぎ、更に安定と改め(系圖)、彥四郞と稱下(延方村神祠棟札)、又大炊助たり。應永二十三年、上杉禪秀の足利持氏を襲ふや、持氏逃れて佐介に走る、安定等護衛十(大草紙、系圖)。是月沒す、蓋し戰死せしならん。子長國·尾張守たリ(本土寺過去帳)。文明二年、寺を創して大興山長國寺と稱す(系圖)。二子忠幹·日精と曰ひ、忠幹は左衞門尉、兵庫頭と稱す(系圖、本土寺過去帳)。子利幹、大永五年、鹿島義幹·襞臣を用ひ、臣民其の苛虐に苦む。利幹爲に義幹を逐ふ(電島治亂記)。天文五年、玉造宗幹と南郷に感、(富田系圓)」と。また「初め行方氏の一族行方の地方を領す。而るに島崎氏は忠幹以來、四隣を蠶食し、兵勢漸く熾なり。門族互に嚔搏して、爭亂處歲なし。足利晴氏·書を下し之を禁ずれども、遂に其の劫奪を制すること能はず……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
島上に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「島」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が島上の前後にある名字です。
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