蝶

奥寺

おくでらOkudera

全国3840位 ・ 約3,170人

奥寺(おくでら)は、陸奥の豪族で、もと北畠家の家臣である。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おくでら
ローマ字
Okudera
全国順位
全国3840位
推計人数
約3,170人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

奥寺をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Okudera読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「奥寺」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 458コマに「家紋風蝶、山の字」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸奥国(東北地方)
  • 美作国(岡山県)
  • 備前国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

奥寺(おくでら)は、陸奥(東北地方)の豪族で、もと北畠家の家臣である。「津軽郡中名字」に「浪岡御所……(中略)、奥寺・広田の二人は重代の侍である」とある。後世、南部氏に仕え、「和賀郷土史」に「奥寺八左衛門定恒は南部重信公に仕え、禄二百石を食んだ。弟○定と謀り、寛文五年に奥寺用水を創め、延宝七年に完成した」とある。この氏の家紋は風蝶、山の字。 尾久土(おくど)は、美作国(岡山県)英田郡の名族で、赤松氏の一族という。伝説によれば、備前三石城主・赤松出羽守満貞が、後に影石塔尾ヶ城に移り、正平十五年に落城して播磨(兵庫県)に走ったという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

奧寺オクデラ陸奥の豪族にして、もと北畠家の家臣也。津輕郡中名字に「浪岡御所云々、奥寺、廣田、二人は重代侍也」と。後世南部氏に仕ふ、和賀郷土史に「臭寺八左衞門定恒は南部重信公に仕へ、祿二百石を食む。弟〓定と謀り、寛文五年奥寺用水を創め、延寶七年なる。」と。此の氏家紋風蝶、山の字。尾久土ヲクド美作國英田郡の名族にして、赤松氏の族なりと。傳說によるに備前三石城主赤松出羽守滿貞·後影石塔尾ケ城に移る、正平十五年落城、播磨に走る。

姓氏家系大辞典 第1巻 458コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

奥寺に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が奥寺の前後にある名字です。

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