鬼蔦

大坊

だいぼうDaibou

全国7195位 ・ 約1,260人

大坊(だいぼう)は、但馬に大坊庄があり、そのほか陸中・陸奥などにこの地名が存在する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
だいぼう
ローマ字
Daibou
全国順位
全国7195位
推計人数
約1,260人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大坊をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Daibou読みをそのまま写した形Daiboパスポート(ヘボン式)

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「大坊」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 489コマに「家紋鬼蔦」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 但馬国(兵庫県)
  • 陸中国(岩手県・秋田県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大坊(だいぼう)は、但馬(兵庫県)に大坊庄があり、そのほか陸中(岩手県・秋田県)・陸奥(東北地方)などにこの地名が存在する。 【1】奥州の大坊氏 ― 津軽郡大坊から起こったものであろう。家紋は鬼蔦。 【2】また六○衆(原文の一字が崩れている)にこの氏があり、「明千寺、大坊、大坊氏」と見える。 大宝寺(だいほうじ)は、出羽(山形県・秋田県)の大族で、羽前国(山形県)西田川郡大宝寺から起こる。秀郷流藤原姓で、武藤頼平の子・氏平を祖とするという。その詳細は大泉の条で述べ、なお武藤の条でも述べるので、ここでは簡略にとどめる。 この氏の居城・大宝寺城は、また大梵寺城とも、あるいは庄内城とも、後にはさらに鶴ヶ岡とも言った。「庄内物語」によれば、源義家が藤原光広にこの地を領させたという。光広三代の孫・大膳亮広利、その子・刑部大夫広正は、承久年間に鎌倉に召され、蝦夷(北海道)が島に配流されたというが、証拠はない。後に武藤氏の居城となり、これを大宝寺屋形といった。 武藤氏は秀郷流藤原氏で、鎮西武藤氏と祖を同じくするが、その世代ははなはだ詳らかでない。まず武藤義氏の先祖書によれば、「駿河権守景親の二男・島田次郎景頼を、武藤左衛門尉景頼として初代に掲げる。二代出羽守助平、三代播磨守盛氏、四代出羽守氏景、五代播磨守秋氏、六代出羽守長盛、七代左京之助師氏、八代松尾小治郎春氏(長盛の弟)。 九代出羽守氏平、十代播磨守勝氏(氏平の弟)、十一代播磨守利氏、十二代出羽守原氏、十三代左京亮建氏、十四代左京大夫政氏、十五代四郎次郎澄氏、十六代四郎氏時(澄氏の弟)。 十七代左京亮政氏、十八代左京大夫晴時、十九代出羽守親九郎晴義、二十代出羽守義氏、二十一代兵庫頭義興(義氏の弟)、二十二代出羽守義勝」……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大坊ダイバウ但馬に大坊庄、その他、陸中、陸奥等に此の地名存す。 1奥州の大坊氏津輕郡大坊より起りしなるべし。家紋鬼蔦。 2又六〓衆に此の氏あり「明千寺、大坊、大坊氏」と見ゆ。大寶寺ダイハウジ出羽の大族にして、羽前國四田川郡大寶寺より起る。秀〓流藤原姓、武藤賴平の子氏平を祖とすと云ふ。その詳細は大泉條に述べ、猶は武藤條にて云ふべければ、此處には簡略に止めむ。この氏の居城·大寶寺城は又大梵寺城とも、或は庄内城とも、後又鶴ヶ岡とも云ふ。庄內物語に據れば、源義家·藤原光廣をして此の地を領せしむ。光廣三代の孫大膳亮廣利、其の子刑部大夫廣正、承久年間、鎌倉に召されて、蝦夷が島に配流さると云へど黴證なし。後武藤氏の居城となる。これを大寶寺屋形と云ふ。武藤氏は秀〓流藤原氏にして、鎭四武藤氏と祖を同じうすれど、其の世代甚だ詳かならず。先づ武藤義氏の先祖書に據れば「駿河權守景親の二男島田次郞景賴、これを武藤左衞門尉景頼として、初代に揭ぐ。二代出羽守助平、三代播磨守盛氏、四代出羽守氏景、五代播磨守秋氏、六代出羽守長盛、七代左京之助師氏、八代松尾小治耶春氏(長盛の弟)、九代出羽守氏平、十代播磨守勝氏(氏平の弟)、十一代播磨守利氏、十二代出羽守原氏、十三代左京亮建氏、十四代左京大夫政氏、十五代四郞次郞澄氏、十六代四郞氏時(澄氏の第)、十七代左京亮政氏、十八代左京大夫晴時、十九代出羽守親九郎晴義、二十代出羽守義氏、廿一代兵庫頭義興(義氏の弟)、廿二代出羽守義勝(本その他、初代芭蕉2.8二代は切部氏。

姓氏家系大辞典 第3巻 489コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

大坊に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が大坊の前後にある名字です。

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