千秋
ちあきChiaki
全国6138位 ・ 約1,580人
千秋(せんしゅう・ちあき)は、三河などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ちあき
- ローマ字
- Chiaki
- 全国順位
- 全国6138位
- 推計人数
- 約1,580人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
千秋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Chiaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「千秋」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 越前国(福井県)
- 因幡国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
千秋(せんしゅう・ちあき)は、三河(愛知県)などにこの地名がある。 【1】藤原南家熱田大宮司族 ― 本姓は尾張宿禰で、おわりの項に詳しい。一族の中でも第一の名族で、子孫は大宮司となり、また武家としても(この部分、原文の文字が崩れている)道休と号し、延宝二年七月二十四日に五十八歳で没した。 政俊には男子が二人あり、嫡子の兵部少輔忠俊は父に先立って没したため、嫡孫の主税政明を跡継ぎとし、二男の治左衛門に所領を分けた(二千石)。主税政明は祖父の跡を継ぎ(五万八千石)、越前守に任じられた。……(中略) 家紋は永楽銭、丸に無の字、五三桐、桔梗花、桜、九曜。一族に因幡守久俊があり、上野国(群馬県)磯部村を領した。用水路を作って民政に努め、稲葉大権現として祀られた。また「武鑑」に「幕臣・仙石大和守四千七百石、仙石監物二千七百石」を挙げる。 ……(中略) 【4】森氏族 ― 阿波(徳島県)の名族・森村春の弟である九郎左衛門(左馬進、石見(島根県))村吉は、仙石秀久に仕え、功によって重臣となり、仙石筑後と称した。七千石を領した。その子に村重・久村があり、ともに勇名があった。 【5】雑載 ― そのほか、広島浅野藩年寄、松江松平藩重臣、山内支藩重臣、加賀前田藩用人、新発田溝口藩用人、加納永井藩用人、岡田伊東藩重臣であった。また前述の仙石藩老に仙石内蔵介久賢があり、治績が大いに挙がり、また勤王家として名高い。 また加賀藩(石川県)給帳に「二千石(永楽銭)寄合組、内二百石与力知、仙石内匠。三百石(前)仙石兵馬」を載せ、また因幡松平伊勢守家臣・仙石左太雄隆明は、長尾武雄・高松信行らとともに、京都等持院の足利尊氏以下三代の木像の首を取り、三条河原にさらした。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
千秋センシウチアキ三河等に此の地名あり。 1藤原南家熱田大宮司族本姓尾張宿彌ヲハリ條に詳か也。族中第一の名族にして、子孫·大宮司となり、又武家として道して道休と號し、延寳二年七月廿四日、五十八歲にて卒す。政俊男子二人あり、嫡子兵部少輔忠俊、父に先立て卒しけれは、嫡孫主稅政明を世嗣とし、二男治左衞門に所領分つ(二千石)。主稅政明、祖父に繼ぎ、(五萬八千石)越前守に任ぜらる。……家紋永樂錢、丸に無の字、五三桐、桔梗花、櫻、九曜。一族に因幡守久俊あり、上野國磯部村を領す。溝渠を作り、民政に務め、稻葉大權現として祀らる。又武鑑に「幕臣仙石大和守四千七百石、仙石監物二千七百石」を擧ぐ。 4森氏族阿波の名族·森村春の弟九郞左衞門(左馬進、石見)村吉·仙石秀久に仕へ、功を以つて重臣となり、仙石筑後と稱す。七千石を領す。その子に村重、久村あり。共に勇名あり。 5雜載その他、廣島淺野藩年寄、松江松平藩重臣、山内支藩重臣、加賀前田藩用人、新發田溝口藩用人、加納永井藩用人、岡田伊東藩重臣たり。又前述仙石藩老に仙石内蔵介久賢あり、治績大いに擧り、又勤王家として名高し。又加賀藩給帳に「貳千石(永樂錢)寄合組·内貳百石與力知、仙石內匠。參百石(前)仙石兵馬」を載せ、又因幡松平伊勢守家臣仙石左太雄隆明は長尾武雄、高松信行等と共に、京都等持院足利尊氏以下三代木像の首をとり、三條河原に梟す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
千秋に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「千」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が千秋の前後にある名字です。
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