北上

きたがみKitagami

全国3933位 ・ 約3,050人

北上(きたがみ)・木滝(きだき)は、常陸国鹿島郡木滝邑より起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
きたがみ
ローマ字
Kitagami
全国順位
全国3933位
推計人数
約3,050人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 常陸国(茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

北上(きたがみ)・木滝(きだき)は、常陸国(茨城県)鹿島郡木滝邑より起こる。大中臣姓であり、「新編国志」に「木滝は、鹿島郡木滝村より出た。代々鹿島社の総追捕使の職である。その家の旧記、および大宮司旧記文記を考えるに、弘安永仁の頃に総追捕使大中臣伊景があった。その子・盛景、応永の始めに家景、応永の末に友景、永享中に広行、宝徳中に景則、次に則方、永禄中に幹景、永禄元亀の頃に則景、天正中に○○(この二字は原文が崩れている)があり、代々職を襲って大中臣氏を称した。 木滝をもって称号としたのは、いずれの世にあるか分からない。今、中臣氏と称するのは誤りである」とある。……(中略) (このあと原文は次の見出しの記事に移っており、見出し名は判読できない)後に安田・宝津などとともに元親に下ったとある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

北上キタガミ木瀧キダキ常陸國鹿島郡木瀧邑より起る。大中臣姓にして、新編國志に「木瀧、鹿島郡木瀧村より出づ。代々鹿島社の總追捕使の職なり。其の家の舊記、及び大宮司舊記文記を考ふるに、弘安永仁中總追捕使大中臣伊景あり。其の子盛景、應永の始に家景、應永の末に友景、永享中に廣行、寶德中に景則、次に則方、永祿中に幹景、永祿元龜の比に則景、天正中に〓〓あり、代々職を襲ひて大中臣氏を稱す。木瀧を以つて稱號とせるは、何れの世にあるをしらず。今中臣氏と稱するは非なり」と。……後安田、寶津等と共に元親に下る。

姓氏家系大辞典 第2巻 371コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

北上と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

北上に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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