八田
はったHatta
ほかの読み: はちた ・ やた
全国912位 ・ 約2.0万人
八田(はた・はつた・やた・はちだ)は、その訓みが多い。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- はった ・ はちた ・ やた
- ローマ字
- Hatta
- 全国順位
- 全国912位
- 推計人数
- 約2.0万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.016%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
八田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「はった」と読む場合
Hatta読みをそのまま写した形
「はちた」と読む場合
Hachita読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「八田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に柏
柏の葉を三枚、扇のように開いた図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 97コマに「家紋丸に三柏」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 三河国(愛知県)
- 駿河国(静岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
八田(はた・はつた・やた・はちだ)は、その訓みが多い。古くはハタ・ヤタというものが多く、前後の各項および矢田と通じて用いられ、後世はハツタというものが最も多い。 地名としては「和名抄」の尾張国(愛知県)海部郡に八田郷があり、「尾張志」に「愛知郡八田村であろう」と載せる。次に三河国(愛知県)幡豆郡に八田郷があり、後世に矢田邑が存する。次に駿河国(静岡県)益頭郡に八田郷が見え、高山寺本に夜多と訓ずる。次に上野国(群馬県)には多胡郡および邑楽郡に八田郷があり、後者には也太と注する。 次に加賀国(石川県)江沼郡に八田郷があって也多と訓じ、能登国(石川県)能登郡に八田郷を収めて也太と注する。次に越中国(富山県)礪波郡に八田郷、丹波国(京都府・兵庫県)何鹿郡に八田郷(後の上下八田邑に当たる)。次に但馬国(兵庫県)二方郡の八田郷は波多と訓じ、備中国(岡山県)下道郡の八田郷も也多と注する。次に周防国(山口県)吉敷郡に八田郷がある。 そのほか和泉国(大阪府)和泉郡に八田荘があり、「二見文書」および永享奉書案に見える。なお大鳥郡にも八田庄がある(蜂田・半陀の項を参照)。また大和(奈良県)・甲斐(山梨県)・上総(千葉県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)・羽後(秋田県)などにもこの地名が存し、多くはハツタである。 【1】八田宿禰 ― 「除目大成抄」の延久三年正月に「因幡大掾八田宿禰」とあるが、秦宿禰と同じか否かは詳らかでない。前後の各項および「ヤタ」の項を参照。 【2】上野の八田氏 ― 当国群馬郡の国分寺址から発掘された文字瓦に「八田甲斐女」と見えるものがある。当国の八田郷から起こったものか。 【3】宇都宮氏族 ― 常陸国新治郡(今の真壁郡)八田邑から起こる。「尊卑分脈」に次のようにある。「道兼の曽孫である宇都宮座主宗円(宇都宮の項を参照)の子・宗綱は八田権守、座主三郎と号した。はじめ叔父兼仲の相続子となり、後に息子宗房を生んでこれを兼仲の継嗣とし、そして実父の宇都宮流に帰った。また外記中原宗家の子となり、後に本姓に帰る。あるいは本姓は中原ともいう。中原(外記・安房守)宗忠 ― (外記・伊豆守)宗家で、宗綱はその宗家の子である、云々」
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
八田ハタハツタヤタハチダその訓多し。古くはハタ、ヤタと云ふもの多く、前後各條、及び矢田と通じ用ひられ、後世はハツタと云ふもの最も多し。地名としては和名抄、尾張國海部郡に八田〓ありて、尾張志に「愛知郡八田村なるべし」と載せ、次に三河國幡豆郡に八田郷ありて、後世矢田邑存す。次に駿河國益頭郡に八田〓見え、高山寺本に夜多と訓ず。次に上野國には多胡郡、及び邑樂郡に八田郷ありて、後者には也太と註せり。次に加賀國江沼郡に八田〓ありて也多と訓じ、次に能登國能登郡に八田〓を收め、也太と註す。次に越中國礪波郡に八田〓、次に丹波國何鹿郡に八田〓〓後の上下八田邑に當る。次に但馬國二方郡に八田輝·波多と訓じ、次に備中國下道郡八田綿も也多と註す。次に周防國吉數郡に八田郷あり。その他、和泉國和泉郡に八田莊ありて、二見文書、及び永享奉書案に見え、猶ほ大鳥郡にも八田庄あり、蜂田、及び半陀條參照、また大和、甲斐、上總、常陸、下野、羽後等にも此の地名存す、多くはハツタ也1八田宿禰除目大成抄、延久三年正月に「因幡大掾八田宿顧」あり、秦宿禰と同異を詳にせず。前後各條、及びヤタ條參照。 2上野の八田氏當國群馬郡國分寺址より發掘されし文字瓦に「八田甲斐女」と見ゆるあり、當國八田郷より起リしか。 3宇都宮氏族常陸圖新治郡(今眞壁郡)八田邑より起る。尊卑分脈に「道兼曾孫宇都宮座主宗圓(宇都宮條參照)の子宗綱·八田權守、號座主三郞。始め叔父兼仲が相續子と爲り、後に息子宗房を生み、卽ち兼仲の繼嗣と爲し、而して實父宇都宮流に歸し畢んぬ。又外記中原宗家の子と爲り、後に本姓に歸る。或は云ふ本姓中原也。中原(外記、安房守)宗忠、(外記、伊豆守)宗家、宗綱は彼の宗家の子也、云々」と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
八田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
八田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「八」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が八田の前後にある名字です。
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