八尋

やひろYahiro

全国2395位 ・ 約6,000人

八尋(やひろ)は、前数条を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
やひろ
ローマ字
Yahiro
全国順位
全国2395位
推計人数
約6,000人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

八尋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Yahiro読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 筑後国(福岡県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 播磨国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

八尋(やひろ)は、前数条を参照。藤原姓筑後国(福岡県)の名族で、御井郡吉見嶽城主に八尋式部卿があり、天文中のことである。そして天文中の津江社宝殿再興の棟札に「八尋舎人尤藤原朝臣藤原光昌」とあり、また高良山天文二十年検地帳に八尋常誰介が見え、また岩屋落城のときに八事運助、上美文書の寛永十二年宗茂判書に八草太兵、およびエハラ、また信の俠客に八幡風呂などがあり、武蔵(東京都・埼玉県)などにこの氏がある。 (このあと原文は次の見出し「養父(やぶ)」の記事に移る) 養父は、播磨国(兵庫県)に養父郡があり、「和名抄」に○夫と注し、「播磨風土記」に夜夫に作る。郡内に養父郷が見える。次に肥前国(佐賀県・長崎県)にも養父の称があって夜布と訓じ、郡内の養父郷は也布と注する。後に養父庄が起こる。また河内国(大阪府)交野郡に養父荘があり、「当宮縁事抄」に「石清水八幡極楽寺領(保元三年)、河内国養父荘」と見える。 【1】日下部姓 ― 但馬国(兵庫県)養父郡から起こる。当郡には延喜式に「夜夫坐神社(名神大二座、小三座)、宇留波神社、水谷神社(名神大)」を載せる。後世の三宮水谷大社のことで、「国史」には養父神と見える。……(中略)日下部の項を参照。 【2】物部姓 ― 石清水祠官の警固壮士に見える。 【3】河内交野郡養父庄から起こる ― 片野神社の社務職で、物部守屋の子・守邦から出るという。また慶応の頃、宮座に養父甚兵衛・同卵之助・同岡田竹松などが見える。 養父氏物部姓家譜に「河内国交野郡養父尾坂村の一之宮天王社は、人皇三十三代用明天皇の御代に……(中略)。勅して物部守屋大連の子・守邦を社務職とした。しかし大連守屋は朝敵・仏敵であったので、同じ御代の豊聡皇子(聖徳太子である。また厩戸ともいう)と蘇我馬子大連が志を同じくしてこれを滅ぼした」という。 「それゆえその子や臣属の類はことごとく滅び、子孫は残らなかった。まれに末裔の人があちこちにあったとしても、皆名を隠し、跡を匿して氏姓を改め、居所を移して世に出ることはなかった」という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

八尋ヤヒロ前數條參照。藤原姓筑後國の名族にして、御井郡吉見嶽城主に八尋式部卿あり、天文中の事也。而して天文中津江社寶殿再興種札に「八尋舍人尤藤原朝臣藤原光昌」を載せ、又高良山天文二十年檢地幔に八尋常誰介見え、又岩屋落城の時に八事運助、上美文書寬永十二年宗茂判書に八草太兵及びエハラ又信俠客に八幡風呂武藏等に此の氏なす。但同に養父郡あり、和名抄に稅不(夫)調じい播磨風土記に夜夫器に作る。郡内に養父〓·見ゆ。次に肥前國にも養父稱ありて夜布と訓じ、郡内養父〓は也布と註す。後に養父庄起る。又河內國交野郡に養父莊ありて、當宮緣事抄に「石〓水八幡極樂寺領(保元三年)、河内國養父莊」と見ゆ。 1日下部姓但馬國養父郡より起る。當郡には延喜式、「夜夫坐神社座(名神大二六、小三座)、宇留波神社、水谷神社(名神大)」を載せたり、後世の三宮水谷大社の事にして、國史には養父神と見ゆ。……日下部條參照。 2物部姓石〓水祠官警固壯士に見ゆ。 3河内交野郡養父庄より起る。片野神社の社務職にして、物部守屋の子守邦より出づと云ふ。又慶應の頃、宮座に養父甚兵衞、同卵之助、同岡田竹松等見ゆ。養父氏物部姓家譜に「河内の國交野郡養尖尾坂村一之宮天王社は、人皇三十三代用明天皇御宇、融請あり形。勅して物部守屋大連の子守邦を以つて、社務職と爲す。然れども大連守屋は朝敵、佛敵たるに依り、同御字豐聰皇子(聖德太子也。又號厩戶)·蘇我馬子大連と志を同うして之を減す。故に其の子臣屬類·悉く減亡する所となり、子遺なし。希に萠葉の人·彼此ありと雖も、皆名を輜し、跡を匿して、氏姓を改め、居處を移して世に出づるなし。

姓氏家系大辞典 第6巻 291コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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