佐瀬
させSase
全国1772位 ・ 約8,860人
佐瀬(させ)は、佐世と通じる。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- させ
- ローマ字
- Sase
- 全国順位
- 全国1772位
- 推計人数
- 約8,860人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
佐瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Sase読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 岩代国(福島県)
- 若狭国(福井県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐瀬(させ)は、佐世と通じる。 【1】桓武平氏千葉氏流 ― 「中興武家系図」に「佐瀬、千葉家庶流」とある。 【2】尾張(愛知県)の平姓 ― 岩代国(福島県)会津郡田島村・田出宇賀神社の宝物に「懸け奉る御正体。長元二己巳年九月吉日、尾張国住人・佐瀬宮内少輔平正勝敬白」とある。 【3】会津の佐瀬氏 ― この地方にこの氏が多く、第一項の一族であろうか。まず大沼郡四勝村の館跡は、佐瀬若狭が住んだ地といい、また同郡下中津川村の熊野宮は、「旧事雑考」に永禄七年八月、熊野権現社を造営したとある。……(中略)次に耶麻郡木寺村に館跡が二つあり、……(この先は原文が崩れて読み取れない) (このあと原文は次の見出し「佐惣(さそう)」の記事に移る)参河国設楽郡臼子城(日枝子村)の城主に佐惣大膳があり、あるいは佐伯大膳とも書く(「二葉松」)。佐伯の項を参照。 (このあと原文は次の見出し「佐太(さだ)」の記事に移る)「和名抄」河内国(大阪府)茨田郡に佐太郷があり、後世は佐太荘・佐太村、また踵跎村ともいう。また出雲(島根県)などにもこの地名が存し、そのほか佐田・佐多・佐陀・定・貞などは、皆通じるべきものである。 【1】佐太首 ― 倭漢坂上氏の一族で、坂上系図に、阿智王に従って来た七姓漢人の一つとして「皇○(原文が崩れている)姓は、これ佐太首らの祖である」とある。 【2】佐太忌寸 ― 佐太首が忌寸姓を賜ったものであろう。和銅五年正月の紀に「佐太忌寸老」という者が見え、正五位下を賜った。また神亀三年の○(原文が崩れている)出雲計帳に佐太忌寸意日売という者があり、後に延暦四年に至り、この氏は宿禰姓を賜った。 【3】皇別の佐太忌寸 ― 承和二年十一月の紀に「春宮坊少属・佐太忌寸道成、兄の散位・道継らに姓を○(原文が崩れている)原宿禰と賜う」とあり、八多真人と同族であると見える。応神天皇の裔・息長氏の一族という。 【4】佐太宿禰 ― 佐太忌寸が宿禰姓を賜ったものである。延暦四年六月の紀に「佐太忌寸うんぬん、姓を宿禰と賜う」とあり、「後漢霊帝の曾孫、阿智王の後である」とある。「姓氏録」右京諸蕃に収め、「佐太宿禰は、坂上大宿禰と同祖、都賀直三世の孫・兎子直の後である」と注している。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
佐瀨サセ佐世と通ず。 1桓武平氏千葉氏流中興武家系圖に、「佐瀨、千葉家庶流」と見ゆ。 2尾張の平姓岩代國會津郡田島村田出宇賀神社寶物に「懸け奉る·御正體。長元二己巳年九月吉日、尾張國住人佐瀨宮内少輔平正勝敬白」とあり。 3會津の佐瀨氏當地方に此の氏多し、第一項の族か。先づ大沼郡四勝村の舘跡は、佐瀨若狹の住せし地と云ひ、又同郡下中津川郡の熊野宮は、習事雜考に永祿七年八月、熊野權現社造營。……次に耶麻郡木寺村に舘跡二あり、一は葦一は葦黨の一とす。佐惣サソウ參河國設樂郡臼子城(日枝子村)の城主に佐惣大膳あり、或は佐伯大膳と書く(二葉松)。佐伯條を見よ。佐太サダ和名抄河内國茨田郡に佐太郷あり、後世·佐太莊、佐太村、又踵跎村と云ふ。又出雲等に此の地名存し、其の他、佐田、佐多、佐陀、定、貞等、皆通ずべし。 1佐太首倭の漢·坂上氏の族にして、坂上系圖、阿智王に隨ひ來リし七姓漢人の一なる「皇郭姓は、是れ也太首等の祖也」と見ゆ。 2佐太忌寸佐太首の忌寸姓を賜へるものなるべし。和銅五年正月紀に「佐大忌寸老」なる者見ゆ。正五位下を賜ふ又神亀三年の山城圖出雲〓計帳に佐太忌寸意日賣なる者あり、後延曆四年に至り、此の氏·宿顧姓を賜ふ。 3皇別の佐大忌寸承和二年十一月紀に「春宮坊少屬佐太忌寸道成、兄散位道繼等に姓を遂原宿禰と賜ふ。八多眞人と同族世と見ゆ。應神天皇裔息長氏の族と云ふ也。 4佐太宿禰佐太忌寸の宿禰姓を賜へるものなり。延曆四年六月紀に「佐太忌寸云々、姓を宿國と賜ふ」と見ゆっ「後漢靈帝の曾孫、阿智王の後也」とあり。姓氏錄右京諸蕃に收め、「佐太宿禰、坂上大宿禰と同祖、都賀直三世の孫·兎子直の後也」と註せり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
佐瀬と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
佐瀬に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「佐」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が佐瀬の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
