井手
いでIde
全国514位 ・ 約3.8万人
井手(いで)は、「井代」「井出」と通じて用いる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いで
- ローマ字
- Ide
- 全国順位
- 全国514位
- 推計人数
- 約3.8万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.031%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
井手をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ide読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越前国(福井県)
- 加賀国(石川県)
- 出羽国(山形県・秋田県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
井手(いで)は、「井代」「井出」と通じて用いる。『和名抄』は越前国(福井県)足羽郡の井手○を「為天」と読み、また加賀国(石川県)石川郡の井手○を「井天」と注記し、なお出羽国(山形県・秋田県)飽海郡に井手○を収める。 【1】井手臣 ― 「井代」「井出」の項を参照。 【2】井手○ ― 神護景雲三年紀に摂津(大阪府・兵庫県)の人・井手小足がある。忌寸姓を賜わった。 【3】秦井手 ― 「井出」の項を参照。 【4】秦井手忌寸 ― 無姓の井手氏の子孫である。神護景雲三年五月紀に「摂津国豊島郡の人、正七位上・井手小足ら十五人に姓を秦井手忌寸と賜う」と載せる。 【5】井手宿禰 ― 藤原式家の一族で、延暦六年九月紀に「これより先、贈左大臣・藤原朝臣種継の男・湯守に過ちがあり、籍を除いた。ここに至って姓を井手宿禰と賜う」と見える。 【6】橘姓 ― 橘氏の祖・諸兄公は山城国(京都府)綴喜郡井手の地に別業を営み、井手左大臣と呼ばれた。その後裔の氏公もまた後井手右大臣と呼ばれた。……(中略)これより井手氏で橘姓と称するものが甚だ多い。以下も多くはそうである。 【7】信濃橘姓 ― その家伝に「橘諸兄公の曾孫、信濃国(長野県)佐久郡海の尻の城主・井手兵部大夫以季は、後に長門守と称した。その孫・土佐守知与は、更科郡葛尾城主・村上義○の家臣である。ゆえあって村上家の勘気を蒙った。その後、海尻は番城となり、天文年間に村上家から城代を置かれた。その人々は芸師寺右近進、小沼川舎人介らである。 知与の子・井手縫殿尉知次には男子が八人あった。嫡子の佐左衛門は二男とともに甲州(山梨県)の武田晴信公に仕えて戦功があり、天文十二年卯三月と同十七年申四月の御感状二通を井手縫殿尉へ賜わり、また天正十年午三月の感状一通を井出左兵衛へ賜わった。その系図は次のとおりである」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
井手ヰテ井代、井出と通じ用ふ、和名抄·越前國足羽郡井手〓を爲天と訓じ、又加賀國石川郡の井手〓を井天と註し、猶ほ出羽國飽海郡に井手〓を收む。 1井手臣井代、井出條を見よ。 2井手神議景雲三年紀に攝津人井手小足あり。忌寸姓を賜ふ。 3秦井手井出條を見よ。 4秦井手忌寸無姓、井手氏の後也。神護景雲三年五月紀に「攝津國豊島郡人正七位上井手小足等十五人、姓を秦井手忌寸と賜ふ、」と載せたり。 5井手宿禰藤原式家の族にして、延曆六年九月紀に「是れより先き贈左大臣藤原朝臣種繼の男湯守·過あり。籍を除き是に至つて姓を井手宿福と賜ふ、」と見えたり。 6橘姓橋氏の祖諸兄公は山城國綴喜郡井手の地に別業を營みて、井手左大臣と呼ばる。その後裔氏公も亦後井手右大臣と呼ばれたり。……これより井手氏の橘姓と稱するもの甚だ多し、以下多く然り。 7信濃橋姓其の家傳に「橘諸兄公の會孫、信濃國佐久郡海の尻の城主井手兵部大夫以季、後に長門守と稱す。其孫土佐守知與、更科郡葛尾城主村上義〓の家臣也。故ありて村上家の勘氣を蒙る。その後海尻は番城となる。天文年間村上家より城代を置き給ふ、其人々には藝師寺右近進、小沼川舍人介等也。知與の子井手縫殿尉知次は男子八人あり。嫡子佐左衞門二男と共に甲州武田晴信公に仕へて戰功あり、天文十二年卯三月、同十七年申四月御感狀二通を井手縫殿尉へ賜はり、又天正十年午三月感狀一通を井出左兵衞へ賜はる。其系圖次の如し。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
井手と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
井手に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「井手」で始まる・井手を含む名字
井手の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が井手の前後にある名字です。
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