中目

なかのめNakanome

全国8522位 ・ 約961人

中目(なかのめ)は、岩代・陸前などにこの地名が存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
なかのめ
ローマ字
Nakanome
全国順位
全国8522位
推計人数
約961人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

中目をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nakanome読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)
  • 上総国(千葉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

中目(なかのめ)は、岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)などにこの地名が存する。 【1】大崎家臣 ― 陸前国志太郡中目邑より起こり、中目兵庫は中目塁に拠る(「封内記」)。 「余目旧記」に「留守七代云々、文治五年云々、中目上総介とて、取り分け連判に載る」とある。後に大崎氏に仕え、四老の一人であった(「大崎盛衰実記」)。渋谷の項を見よ。 また「かさい衆・桃生、深谷、そのほか、奥六郡同心である。陣を張る。大崎より中目太郎三郎が御代に下り討死した、立死である」とある。応永九年のことである。 その後、明応中の薄衣状に中目禅門があって、伊場野主といい、天文中の古川状に次のようにある。 「大崎義直随従の兵、渋谷党・中目千増丸、師山駿河、小袋兵庫、中目丹波、寺尾左近、飯川二郎四郎、郡伊賀、大衡又五郎、牛袋、首、早川、南、応仁私記に長野辺紀八谷地淡路、七人給主、笠原一族、柳沢士殿允、谷地森兵部、宮崎民部、鳥島右近」とある(「伊達世次考」)。 また「余目旧記」に中目上総守、「大崎隆義家記」に中ノ目兵庫、「伊達成実記」などにも見える。なお大崎・葛西などの項を見よ。 【2】藤原姓 ― 陸前国刈田郡の中目邑より起こる。藤原姓で、兵庫頭康長の後である。……(中略) 「親聞志」に「秦衛城址は中目村にある。伝えるに、藤原泰衡が昔この城に居り、その後、結城七郎朝光が相次いで居った」とあるのと関係があろうか。 この家は「伊達藩世臣家譜」に「中目。姓は藤原、その家は兵庫頭康長以前は系譜が伝わらず、康長に至り、羽州(山形県・秋田県)下長井大船に住んだ。康長の子日向守長政は初め左兵衛督と称した。弘治四年七月、保山公の時、その忠勤をほめ、初めて一家に列し親筆の判物を賜った」とある。 また「その先祖日向長政以前は家系を伝えない。代々刈田郡中目邑に住み、それで称号とした。旧当家一族の臣である。十五世晴宗君の世、弘治四年戊午、長政に忠功があったのでこれを賞して一家に列した。今その子孫は四百九十石の地を領して、江刺郡上門図邑に住む」(「世臣語略」)とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

中目ナカノメ岩代、陸前等に此の地名存す。 1大崎家臣陸前國志太郡中目邑より起リ、中目兵庫は中目壘に據る(封内記)。餘目舊記に「留守七代云々、文治五年云々、中目上總介とて、取分連判にのる」と0後に大崎氏に仕へ、四老の一たりき(大崎盛衰實記)。澁谷條を見よ。また「かさい衆·桃生、深谷、その外、奧六郡同心也。張陣す。大崎より中目太郞三郞·御代に下リ討死す、立死也」と。應永九年の事なり。その後、明應中の薄衣狀に中目禪門ありて、伊場野主と云ひ、天文中の古川狀に「大崎義直隨從の兵、澁谷黨·中目千增丸、師山駿河、小袋兵庫、中目丹波、寺尾左近、飯川二郞四郞、郡伊賀、大衡又五郞、牛袋、首、早川、南應仁私記に長野邊紀八谷地淡路、七人給主、笠原一族、柳澤士殿允、谷地森兵部、宮崎民部、鳥島右近」と(伊達世次考)。また餘目舊記に中目上總守、大崎隆義家記に中ノ目兵庫、伊達成實記等にも見ゆ。なほ大崎、葛西等の條を見よ。 2藤原姓陸前國刈田郡の中目邑より起る。藤原姓にして、兵庫頭康長の後也。……親聞志に「秦衛城址は中目村に在り。相傳ふ、藤原泰衡·往昔この城に居リ、爾後、結城七郞朝光·相尋いで居る」と關係あるか。この家は伊達藩世臣家譜に「中目。姓は藤原、其の家·兵庫頭康長以前は系譜·傳はらず、康長に至り、羽州下長井大船に住す。廉長の子日向守長政·初め左兵衛督と稱す。弘治四年七月、保山公の時、其の忠勤をほめ、始めて一家に列し親筆の判物を賜ふ」と0また「其の先祖日向長政以前は家系を傳へず。世々刈田郡中目邑に住し、以つて稱號となす。舊當家一族の臣也。十五世晴宗君の世、弘治四年戊午、長政·忠功あるを以つて之を賞して一家に列す。今其の子孫·四百九十石の地を領して、江刺郡上門圖邑に住す」(世臣語略)と。

姓氏家系大辞典 第4巻 435コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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