下平
しもだいらShimodaira
全国1515位 ・ 約1.1万人
下平(しもだひら・しもひら)は、 【1】越後の下平氏 ― 上杉氏配下の将で、下平修理大夫は魚沼郡千手村上手城主であった(なおシモヒラの項を見よ)。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- しもだいら
- ローマ字
- Shimodaira
- 全国順位
- 全国1515位
- 推計人数
- 約1.1万人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
下平をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shimodaira読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 信濃国(長野県)
- 陸奥国(東北地方)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
下平(しもだひら・しもひら)は、 【1】越後(新潟県)の下平氏 ― 上杉氏配下の将で、下平修理大夫は魚沼郡千手村上手城主であった(なおシモヒラの項を見よ)。 【2】信濃(長野県)の下平氏 ― 伊那郡の士で、下平治部少輔は二十五貫文を領した(「伊那武鑑」)。 【3】雑載 ― 陸奥(東北地方)・美濃(岐阜県)などにもこの氏がある。 (このあと原文は隣の見出し「下玉(しもだま)」の記事に移る) 下玉は、大和十津川の名族で、鎗役由緒家筋書に「滝河村、下玉助左衛門」(宝暦五年)とあり、また滝河村庄屋とある。 (このあと原文は隣の見出し「下民(しもたみ)」の記事に移る) 下民は、正倉院天平宝字五年文書に見える。 (このあと原文は隣の見出し「下治(しもぢ)」の記事に移る) 下治は、上杉氏配下の将で、下治秀久は出羽尾浦城(大山城)を守った。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
下平シモダヒラシモヒラ1越後の下平氏上杉氏配下の將にして下平修理大夫は、魚沼郡千手村上手城主なりき猶ほシモヒラ條を見よ。 2信濃の下平氏伊那郡の士にて、下平治部少輔は二十五貫文を領しき(伊那武鑑)。 3雜載陸奥、美濃等にも此の氏あり。下玉シモダマ大和十津川の名族にして鎗役由緒家筋書に「瀧河村、下玉助左衞門」(寶曆五年)と。又瀧河村庄屋とあり。下民シモタミ正倉院天平寶字五年文書に見ゆ。下治シモヂ上杉氏配下の將にして、下治秀久は出羽尾浦城(大山城)を守る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
下平に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「下」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が下平の前後にある名字です。
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