七戸

しちのへShichinohe

全国4580位 ・ 約2,410人

七戸(しちのへ)は、【1】清和源氏南部氏流 ― 陸奥国北郡七戸邑より起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
しちのへ
ローマ字
Shichinohe
全国順位
全国4580位
推計人数
約2,410人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

七戸をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shichinohe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

七戸(しちのへ)は、【1】清和源氏南部氏流 ― 陸奥国(東北地方)北郡七戸邑より起こる。その出自は詳らかでないが、伝説によれば、南部氏の祖・光行の三男・太郎三郎朝○の後という(「深秘抄」)。しかし文書によれば、七戸の地は鎌倉時代、工藤氏の領土であり、後に八戸六郎政長の領有に帰したようである(南部および八戸の条を参照)。あるいは七戸を分領したものか、あるいは七戸氏は八戸氏の配下として七戸にあったものか。 一族は多く、旧指録に「七戸氏は南部光行公の三男・太郎三郎朝○の末である。七戸氏の分かれとして、久慈・藤村・野辺地、久慈より松原・攝待に分かれる」などと見える。 子孫に……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)赤松氏流の赤松次郎則村の後であり、一族の中でも屈指の名族である。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

七戶シチノヘ1〓和源氏南部氏流陸奥國北郡七戶邑より起る。其の出自詳かならざれど、傳說に據れば、南部氏の祖光行の三男太郎三郞朝〓の後と云ふ(深秘抄)。されど文書に據れは、七戶の地は、鎌倉時代、工藤氏の領土にて、後八戶六郞政長の領有に歸せしが如し(南部及び八戶條參照)。或は七戶を分領せしか。或は七戶氏は八戶氏の配下として、七戶にありしものか。一族多く、舊指錄に「七戶氏は南部光行公の三男太郞三郞朝〓の末也。七戶氏の別れ、久慈、藤村、野邊地、久慈より松原、攝待別る」など見ゆ。子孫に七戶九七條御號印衣赤松氏流赤松次郎則村の後にして、族中屈指の名族也。

姓氏家系大辞典 第3巻 248コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

七戸に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が七戸の前後にある名字です。

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