畑井

はたいHatai

全国4574位 ・ 約2,410人

畑井(はたい)は、大隅国国分○二宮大明神妊児社の社司に畑井四大夫がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
はたい
ローマ字
Hatai
全国順位
全国4574位
推計人数
約2,410人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

畑井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hatai読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 大隅国(鹿児島県)
  • 志摩国(三重県)
  • 丹波国(京都府・兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

畑井(はたい)は、大隅国(鹿児島県)国分○二宮大明神妊児社の社司に畑井四大夫がある。また伊勢(三重県)・志摩地方にも存する。また黒石藩儒に畑井多仲常武があり、蟠竜と号した。小湊邑の人である。 秦井(はたい)は、丹波(京都府・兵庫県)の名族であり、室町の頃、秦井掃部允があった。竹上の条を参照。 秦内(はたうち)は、下野(栃木県)の豪族であり、「花営三代記」に秦内次郎が見える。小山下野守義政配下の将である。 畑浦(はたうら)・波多江(はたえ)は、筑前国(福岡県)怡土郡渡多江荘より起こる。大蔵姓六家の一つで、原田系図に「種雄-種直、弟の種貞(三郎)は美気四郎種名の猶子となり、波多江と改めた」とあり、波多江系図には「種貞の初名を敦実とする」とある。 その後、波多江種遠(その娘は原田長門守種秀の室)、下って波多江種家の二男・次郎大夫種賢が原田家を継ぎ、その子・種後は波多江掃部助と称した。(出典未詳、原文のこの部分は崩れている)「波多江、池田、太郎丸、板持のうち」と見える。 また原田中務大夫種秦の室は波多江種世の娘である。また波多江系図に「波多江若狭守種兼の娘は原田隠岐守の室」と見える。また「続風土記」に「波多江は旧荘号であり、また波多郡と号する。昔、原田種……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 秦川(はたかわ)は、大和(奈良県)の絵師・秦川重利がある。浮世絵師であるという。 幡鎌(はたかま)は、遠江国(静岡県)佐野郡(小笠郡)幡鎌邑より起こる。幡鎌の領主に八郎左衛門尉が見え、また天文十八年十月十五日、今川義元が軍忠状を幡鎌平四郎に授けた。また後に儒者・幡鎌三吾類があり、蘿斎と号した。 秦上(はたかみ)は、「和名抄」の摂津国(大阪府・兵庫県)豊島郡に秦上○があり、後世に畑邑が残る。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

畑井ハタヰ大隅國國分〓二宮大明神妊兒社の社司に畑井四大夫あり。また伊勢、志摩地方にも存す。又黑石藩儒に畑井多仲常武あり、蟠龍と號す、小湊邑の人也。秦井ハタヰ丹波の名族にして、室町の頃秦井掃部允あり、竹上條參照。秦內ハタウチ下野の豪族にして、花營三代記に秦内次郞·見ゆ。小山下野守義政配下の將也。畑浦ハタウラ波多江ハタエ筑前國怡土郡渡多江庄より起る。大藏姓六家の一にして原田系圖に「種雄-種直、弟種貞(三郞、美氣四郞種名の猶子と爲り、波多江と改む」と、ミケ條金曜日波多江系圖には「種貞の初名を敦實」とす。その後波多江種遠(その女は原田長門守種秀の室)、下りて波多江種家の二男次郞大夫種賢·原田家を嗣ぎ、その子種後は波多江掃部助と稱す。一郎、「波多江、池田、太郞丸、板持の中」と見ゆ。又原田中務大夫種秦の室は波多江種世の女也。又波多江系圖に「波多江若狭守種兼の女は原田隱岐守の室」と見ゆ。又續風土記に「波多江は舊莊號にて、又波多郡と號す。昔原田種から前後各條、及びハン秦川ハタカハ大和綸師奏川重利あり、浮世論師なりとぞ。幡鎌ハタカマ遠江國佐野郡(小笠郡)幡鎌邑より起る。幅鐵領主八郞左衞門尉見え、又天文十八年十月十五日、今川義元·軍忠狀を幡鎌平四郞に授く。又後に儒者幡鎌三吾類あり、蘿齋と號す。秦上ハタカミ和名抄、攝津國豐島郡に奏上〓あり、後世畑邑殘る。

姓氏家系大辞典 第5巻 99コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

畑井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

畑井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が畑井の前後にある名字です。

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