七里

しちりShichiri

全国5726位 ・ 約1,750人

七里(しちり・ななさと)は、下野・岩代・肥後などにこの地名があり、そのほか七里浜・七里岩など地名が多い。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
しちり
ローマ字
Shichiri
全国順位
全国5726位
推計人数
約1,750人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

七里をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shichiri読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 肥後国(熊本県)
  • 越前国(福井県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

七里(しちり・ななさと)は、下野(栃木県)・岩代(福島県)・肥後(熊本県)などにこの地名があり、そのほか七里浜・七里岩など地名が多い。 【1】藤原姓 【2】北国の七里氏 ― 一向一揆の魁将で、七里三河守は越前(福井県)を侵略して長崎河合荘・片山などを抜き、朝倉義健を長泉寺に攻めてこれを殺した。朝倉景鏡は(原文の表記が崩れている)恐れて平泉寺に走った。また加賀(石川県)にも攻め入って勢力があった。また近世の(原文の表記が崩れている)七里恒順は、越後三島郡の人であるという。 【3】雑載 ― 田中家臣知行割帳に「二百五十石 七里杢左衛門、百七十石 七里左兵衛、百五十石 七里伝次」などを載せ、また鯖江藩に七里又蔵、肥前(佐賀県・長崎県)・美濃(岐阜県)などにも存する。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

七里シチリナナサト下野、岩代、肥後等にこの地名あり。其の他、七里濱、七里岩等多し。 1藤原姓2北國の七里氏一向一揆の魁將にして七里三河守は、越前を侵略して、長崎河合莊片山等を拔き、朝倉義健を長泉寺に攻めて之を殺す。朝倉景鏡·長怖して平泉寺に走る。又加賀にも攻め行きて勢力あり。又近世の像當七里恒順は越後三島郡の人なりと。 3雜載田中家臣知行割帳に「二百五十石七里杢左衞門、百七十石七里左兵衞、百五十石七里傳次」等を載せ、又鯖江藩に七里又藏、肥前、美濃等にも存す。

姓氏家系大辞典 第3巻 249コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

七里に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

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