南里
なんりNanri
全国2557位 ・ 約5,490人
南里(みなみさと)は、「国人某の屋敷跡を文献屋敷という。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- なんり
- ローマ字
- Nanri
- 全国順位
- 全国2557位
- 推計人数
- 約5,490人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
南里をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Nanri読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 和泉国(大阪府)
- 志摩国(三重県)
- 尾張国(愛知県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
南里(みなみさと)は、「国人某の屋敷跡を文献屋敷という。……(中略)天正年間、小牧の御陣に御味方として属し、泉州(大阪府)まで出陣したが、和睦と聞いて引き返した。翌年、豊太閤のために滅ぼされて村中に蟄居し、郷士となった。慶長年間に検地を受け、農を業とした。南龍公のご命令があって、焼酎を製したことがあるという。地士として大庄屋の職を勤めた」とある。 【2】伊勢(三重県)の南川氏 ― 滝川一益の配下の臣に南川治部左衛門があり、三重郡の代官で蔦野城に拠った。そのほか伊勢の儒者に南川金渓(医者、維遷)がある。 【3】雑載 ― そのほか志摩(三重県)・尾張(愛知県)・摂津(大阪府・兵庫県)・武蔵(東京都・埼玉県)にある。南木(みなみぎ・なんぼく)の項を見よ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
南里ミナミサト國人生の址を文献屋鋪と云ふ。……天正年中、小牧御陣に御味方に屬し、泉州まで出陣せしに、御和睦と聞いて引返す。翌年、豐太閤の爲に亡され、村中に蟄居し、郷士となる。慶長年中檢地をうけ、農を業とす。南龍公·命ありて、燒酎を製せし事ありといふ。地士にて大庄屋職を勤む」と2伊勢の南川氏瀧川一益配下の臣に南川治部左衞門あり、三重郡の代官にして、蔦野城に據る。その他、伊勢の儒者に南川金溪(醫者、維遷)あり。 3雜載その他、志摩、尾張、攝津、武藏に南木ミナミギナンポク條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
南里と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
南里に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「南」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が南里の前後にある名字です。
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