
聖武天皇
しょうむてんのう
701年〜756年
第45代天皇
大和(現在の奈良県)の朝廷に生まれた第45代天皇です。
肖像は当サイトが用意したイメージイラストです。実際の肖像画・写真ではありません。
基本情報
- 生年
- 701年
- 没年
- 756年
- 時代
- 古代
- 名字
- 聖武天皇
- 肩書
- 第45代天皇
- 出典
- 孝謙天皇の家系図、光明皇后の家系図、藤原不比等の家系図、聖武天皇の家系図、日本の歴代為政者
この人について
大和(現在の奈良県)の朝廷に生まれた第45代天皇です。文武天皇の皇子で、皇后は藤原不比等の娘の光明子(光明皇后)にあたります。
疫病と飢饉、内乱の続く中で仏教に国の安定を求め、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、東大寺の大仏(盧舎那仏)を造立しました。都を恭仁京・難波宮・紫香楽宮へ移したのちに平城京へ戻しています。
この略歴は、広く知られている事実をもとに当サイトが書いたものです。下の家系図・家族は、みなさんが公開した家系図の記録です。
家系図(近い家族)
聖武天皇を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かして拡大でき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。
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人物相関図
聖武天皇をめぐる人物を、朝廷・一族・味方・争った相手に分けて並べ、矢印で関わりを示しています。それぞれの帯の中は生まれた年の順です。
藤原広嗣
714〜740
藤原宇合の長男
聖武天皇
701〜756
第45代天皇
行基
668〜749
民衆に布教した僧
鑑真
688〜763
唐の僧
吉備真備
695〜775
唐帰りの学者
玄昉
生年不詳〜746
唐帰りの僧
動かして拡大できます。人物を押すと、その人の関わりだけが浮かびます。
線の見方
- 血縁・婚姻
- 同盟・主従
- 対立・戦い
- 影響・任官など
- 矢印は働きかけの向き
相関図を一覧で読む
| 人物 | 生没年 | 肩書 | 本人との関わり |
|---|---|---|---|
| 藤原不比等 | 659〜720 | 右大臣・外祖父中臣鎌足の子。大宝律令・養老律令の編纂にあたった。娘の宮子が聖武天皇を産み、光明子はその皇后となった。 |
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| 藤原武智麻呂 | 680〜737 | 藤原四子の長兄不比等の長男。弟たちと政権を握り、長屋王を倒したとされる。734年に右大臣となったが、737年に天然痘で没した。 |
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| 光明皇后 | 701〜760 | 聖武天皇の皇后藤原不比等の娘。729年、皇族以外から初めて皇后に立てられたとされる。悲田院・施薬院を設けた。 |
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| 藤原広嗣 | 714〜740 | 藤原宇合の長男藤原宇合の長男。740年、大宰府で玄昉・吉備真備の排除を求めて兵を挙げたが、敗れて処刑された(藤原広嗣の乱)。 |
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| 人物 | 生没年 | 肩書 | 本人との関わり |
|---|---|---|---|
| 元正天皇 | 680〜748 | 第44代天皇聖武天皇の伯母にあたる女性天皇。724年、甥の首皇子(聖武天皇)に位を譲った。 |
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| 橘諸兄 | 684〜757 | 右大臣(もと葛城王)藤原四子の没後、738年に右大臣となって政権を担い、唐から帰国した玄昉・吉備真備を重く用いた。 |
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| 長屋王 | 684〜729 | 左大臣天武天皇の孫で左大臣。729年、謀反の疑いをかけられて自害した(長屋王の変)。藤原四子の策謀とされる。 |
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| 聖武天皇本人 | 701〜756 | 第45代天皇文武天皇の皇子。仏教の力で国の安定を願い、国分寺・国分尼寺の建立と東大寺の大仏造立を命じた。 | |
| 孝謙天皇 | 718〜770 | 娘・第46代天皇聖武天皇と光明皇后の娘(阿倍内親王)。749年に父から位を譲られ、のちに称徳天皇として再び即位した。 |
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| 人物 | 生没年 | 肩書 | 本人との関わり |
|---|---|---|---|
| 行基 | 668〜749 | 民衆に布教した僧諸国をめぐって布教し、橋や池を造った僧。はじめ朝廷に活動を禁じられたが、大仏造立に協力し、745年に大僧正となった。 |
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| 鑑真 | 688〜763 | 唐の僧唐の高僧。渡航に何度も失敗したのち753年に来日し、東大寺で聖武上皇らに戒を授けた。のちに唐招提寺を開いた。 |
|
| 吉備真備 | 695〜775 | 唐帰りの学者遣唐留学生として唐で学び、735年に帰国。橘諸兄の政権で重く用いられ、のちに右大臣まで昇った。 |
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| 玄昉 | 生年不詳〜746 | 唐帰りの僧法相宗の僧。唐で学んで735年に帰国し、僧正として橘諸兄の政権で重く用いられた。藤原広嗣に排除を求められた。 |
|
この相関図は、広く知られている事実をもとに当サイトが人物と関わりを選んで記したものです。下の家族欄・家系図は、みなさんが公開した家系図の記録です。
肖像は当サイトが用意したイメージイラストです。実際の肖像画・写真ではありません。
家族
年表:聖武天皇と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
- 「すべて」「本人」「日本の出来事」のボタンで、見たい段だけに絞り込めます。
- 「表示範囲」で横軸の幅を切り替えられます。範囲をせまくすると、横にスクロールして読めます。
- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 701年誕生
- 714年6月元服して立太子する
- 717年子・井上内親王 誕生
- 718年子・阿倍内親王 誕生
- 718年子・孝謙天皇 誕生
- 718年子・孝謙天皇 誕生
- 718年子・藤原孝謙天皇 誕生
- 723年子・不破内親王 誕生
- 724年2月元正天皇から譲位され即位する
- 727年子・基王 誕生
- 727年子・基王 誕生
- 728年子・安積親王 誕生
- 729年光明子を皇后に立てる
- 729年長屋王の変が起こる
- 737年鈴鹿王を知太政官事に任じる
- 740年恭仁京に遷都する
- 741年2月国分寺建立の詔を出す
- 743年11月大仏造立の詔を出す
- 749年7月阿倍内親王に譲位する
- 752年4月東大寺大仏の開眼法要を行う
- 756年死去
日本の出来事
- 701年大宝律令が定められる
- 708年和同開珎がつくられる
- 710年平城京に都が移る
- 712年古事記がまとめられる
- 720年日本書紀がまとめられる
- 723年三世一身法が出される
- 743年墾田永年私財法が出される
- 754年鑑真が唐から渡ってくる
年表を一覧で読む
| 701年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 701年 | 日本の出来事:大宝律令が定められる |
| 708年 | 日本の出来事:和同開珎がつくられる |
| 710年 | 日本の出来事:平城京に都が移る |
| 712年 | 日本の出来事:古事記がまとめられる |
| 714年6月 | 本人:元服して立太子する |
| 717年 | 本人:子・井上内親王 誕生 |
| 718年 | 本人:子・阿倍内親王 誕生 |
| 718年 | 本人:子・孝謙天皇 誕生 |
| 718年 | 本人:子・孝謙天皇 誕生 |
| 718年 | 本人:子・藤原孝謙天皇 誕生 |
| 720年 | 日本の出来事:日本書紀がまとめられる |
| 723年 | 本人:子・不破内親王 誕生 |
| 723年 | 日本の出来事:三世一身法が出される |
| 724年2月 | 本人:元正天皇から譲位され即位する |
| 727年 | 本人:子・基王 誕生 |
| 727年 | 本人:子・基王 誕生 |
| 728年 | 本人:子・安積親王 誕生 |
| 729年 | 本人:光明子を皇后に立てる |
| 729年 | 本人:長屋王の変が起こる |
| 737年 | 本人:鈴鹿王を知太政官事に任じる |
| 740年 | 本人:恭仁京に遷都する |
| 741年2月 | 本人:国分寺建立の詔を出す |
| 743年 | 日本の出来事:墾田永年私財法が出される |
| 743年11月 | 本人:大仏造立の詔を出す |
| 749年7月 | 本人:阿倍内親王に譲位する |
| 752年4月 | 本人:東大寺大仏の開眼法要を行う |
| 754年 | 日本の出来事:鑑真が唐から渡ってくる |
| 756年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、聖武天皇の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、聖武天皇がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。
本人の主な出来事は、広く知られている事実をもとに当サイトが選んで記したものです。誕生・結婚・子・死去は家系図の記録から載せています。
明治5年(1872年)以前の月は、和暦(旧暦)の月です。
同じ名前の別の方
公開されている家系図には、同じ「聖武天皇」という名前の方がほかにもいます。お探しの方がこちらでないか、生没年と家系図の名前でお確かめください。
元正天皇の家系図
載っている家系図
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