高安
たかやすTakayasu
全国2007位 ・ 約7,620人
高安(たかやす)は、河内国に高安郡があり、宝亀元年正月の紀に初めて見え、後世は恩智郡と呼ばれたこともある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たかやす
- ローマ字
- Takayasu
- 全国順位
- 全国2007位
- 推計人数
- 約7,620人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
高安をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Takayasu読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 河内国(大阪府)
- 近江国(滋賀県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
高安(たかやす)は、河内国(大阪府)に高安郡があり、宝亀元年正月の紀に初めて見え、後世は恩智郡と呼ばれたこともある。「和名抄」に多加夜須と注する。郡内に高安荘があり、後宇多院御領目録に「河内国高安荘、磯長御厨領」とあり、また「河内志」に「○興寺、一名高安寺」とある。 また高安山があり、天智紀六年十一月条に「この月、倭国高安城を築く」と見える。当時は大和国(奈良県)に属していたものであろう。壬申の乱では、近江方の軍がこの城にあったが、坂本臣財らが来るのに出会い、通り過ぎた。 後……(この先は原文の行が崩れて読み取れない)宝亀元年八月紀に「高安城を廃し、その舎屋・雑儲物を移して大倭・河内二国に貯えた」とある。 【1】高安漢人 ― 前述の高安郡に住んだ漢人である。高麗からの帰化族であるが、その出自は後漢光武帝の子孫と称する。 【2】摂津(大阪府・兵庫県)の高安漢人 ― 前項氏の一族で、「姓氏録」摂津諸蕃に収め、「高安漢人。狛国人小額々より出づるなり」と注する。 【3】高安村主 ― 前項高安漢人の村主で、「播磨国(兵庫県)正税帳」に「上長門国(山口県)鋳銭司民、領少初位下高安主村三事」という者が見える。 【4】高安下村主 ― 前項氏と同族で、「姓氏録」右京諸蕃に収め、「高安下村主は、高麗国人大鈴より出づるなり」と注する。 【5】高安造 ― 後漢光武帝の子孫で、高安漢人の首長であろう。天平神護二年十月紀に「河内国人大初位下毗登戸東人ら九十四人に、姓を高安造と賜う」と見える。「姓氏録」も河内諸蕃に収め「高安造。八戸史と同祖、尽達王の後なり」とある。 【6】高安連 ― 前項氏と同族であるが、後に坂上氏族と混じった。桓武後紀に高安連真笠という者がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
高安タカヤス河内國に高安郡あり、寶龜元年正月紀に初見し、後世或は恩智郡と呼びたる事あり。和名抄に多加夜須と註す。郡内に高安莊あり、後字多院御領目錄に「河内國高安莊、磯長御刷領」、また河内志に「〓興寺、一名高安寺」、と。また高安山あり、天智紀六年十一月條に「是の月、倭國高安城を築く」と見ゆ。當時大和に屬せしものなるべし。壬申の亂には、近江軍當城にありしが、坂本臣財等來るに會し通る。後大タカヤ-タカヤス寳元年八月紀に「高安城を廢し、其の舎屋雜儲物、移して大倭、河内二國に貯ふ」とあり。 1高安漢人前述高安郡に住せし漢人なり。高麗歸化族なれど、其のもとは後漢光武帝の裔と稱す。 2攝津の高安漢人前項氏の族にして、姓氏錄、攝津諸蕃に收め、「高安漢人。狛國人小額々より出づる也」、と註す。 3高安村主前項高安漢人の村主にして播磨國正稅帳に「上長門國鑄錢司民領少初位下高安主村三事」なろ者見ゆ。 4高安下村主前項氏と同族にて、姓氏錄、右京諸蕃に收め、「高安下村主は、高麗國人大鈴より出づる也、」と註す。 5高安造後漢光武帝の裔にして、高安漢人の首長なるべし。天平神護二年十月紀に「河内国人大初位下毗登戶東人等の九十四人に、姓を高安造と賜ふ」と見ゆ姓氏錄も、河内請蓄に收め「高安造。八戶史と同祖、盡逹王の後也」とあり。 6高安連前項氏と同族なれど、後坂上氏族と混ず。桓武後紀に高安連眞笠なる者あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
高安に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「高」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が高安の前後にある名字です。
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