豊川

とよかわToyokawa

全国2011位 ・ 約7,590人

豊川(とよかわ)は、「和名抄」に三河国宝飫郡に豊川郷を収め、止与加波と注する。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
とよかわ
ローマ字
Toyokawa
全国順位
全国2011位
推計人数
約7,590人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

豊川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Toyokawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 三河国(愛知県)
  • 陸奥国(東北地方)
  • 豊前国(福岡県・大分県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

豊川(とよかわ)は、「和名抄」に三河国(愛知県)宝飫郡に豊川郷を収め、止与加波と注する。陸奥国(東北地方)の名族にこの氏があり、南部光行の入国の際に随従した(奥南旧指録)。もと三戸郡田子の士であるという。 ……(中略) 左近重次(四百石)―六左衛門重知―市左衛門重乗は、下野田邑観音堂の元禄四年棟札に見える。 (このあと原文は次の見出し「豊亀(とよかめ)」「豊口(とよくち)」を経て「豊国(とよくに)」の記事に移る) 豊国は、九州に豊国があり、後に豊前(福岡県・大分県)・豊後(大分県)の二国に分かれる。第一項を見よ。そのほか「和名抄」に遠江国(静岡県)磐田郡に豊国郷を収め、止興久爾と注する。次に美作国(岡山県)勝田郡に豊国○、後に豊国邑、また大隅国(鹿児島県)桑原郡に豊国○、そのほか伊勢(三重県)・播磨(兵庫県)などにもこの地名が存する。 【1】豊日別 ― 「古事記」に「豊国を豊日別と謂う」と見える。豊国とは後の豊後・豊前の二国であるが、その名称の根源の地がどこであったかは詳らかでない。「地名辞書」には「京都郡を本とし、築城ならびに企救・田川などに限られるものとする」と言われているが、誤りではないか(中津郡の国作邑を国造の訛りとするような、こじつけに過ぎない)。おそらく畿内地方から言った地名で、国前地方から全体を指したものと考えられる。 【2】豊国造 ― 出雲臣の一族で、「国造本紀」に「豊国造。志賀高穴穂(成務)朝の御代に、伊甚国造と同祖、宇那足尼を国造に定め賜う」と見える。他に照合すべき史料がなく、かつ単に豊とあるのみで、どこを支配したかは、いずれも詳らかでない。なおこの国造の祖・宇那足尼は、第五項の蒐名手と同一人物であるようにも考えられる。もしそうであれば「国造本紀」の誤写か。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

豐川トヨカハ和名抄、三河國寶飫都に豐川郷を收め、止與加波と註す。陸奥國の名族に此の氏あり、南部光行·入國の際、隨從す(奧南舊指錄)。もと三戶郡田子の士なりと。……左近重次(四百石)-六左衞門重知-市左衞門重乘は下野田邑觀音堂元祿四年棟札に見ゆ。豊龜トヨカメ豐口トヨクチ豊國トヨクニ九州に豊國あり、後に豐前、豐後二國に分る。第一項を見よ。その他、和名抄、遠江國磐田郡に豐國鼎を收め、止興久爾と註す。次に美作國勝田郡に豐國〓、後に豐國邑、又大隅國桑原郡に豐國〓、その他、伊勢、播磨等にも此の地名存す。 1豐日別古事記に「豐國を豐日別と謂ふ」と見ゆ。豐國とは後の豐後、豐前の二國なるが、其の名稱根源の地は、何地なりしか詳かならず。地名辭書には「京都郡を本とし、築城、並に企敦、田川等に限れる者とす」と曰はれたれど、非か。(中津郡の國作邑を國造の訛とする如き、牽强附會のみ)。蓋し幾內地方より云ひし地名にて、國前地方より全體を指せしものと考へらる。 2豐國造出雲臣の一族にして、國造本紀に「豐國造。志賀高穴穗(成務)朝の御代に、伊甚國造と同祖、宇那足尼を國造に定め賜ふ」と見ゆ。他に照合すべき史料なく、且つ單に豐とあるのみにて、何地を支配せしか、共に詳かならず。猶ほ此の國造の祖宇那足尼は、第五項の蒐名手と同一人の如くも考へらる。若し然らば國造本紀の誤寫か。

姓氏家系大辞典 第4巻 341コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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