豊沢

とよさわToyosawa

全国4489位 ・ 約2,480人

豊沢(とよさは)は、三弦家に豊沢広助がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とよさわ
ローマ字
Toyosawa
全国順位
全国4489位
推計人数
約2,480人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

豊沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Toyosawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 陸中国(岩手県・秋田県)
  • 丹波国(京都府・兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

豊沢(とよさは)は、三弦家に豊沢広助がある。また武蔵(東京都・埼玉県)・陸中(岩手県・秋田県)などにこの地名が存する。 (このあと原文は次の見出し「豊階(とよしな)」の記事に移る)豊階は開化天皇の後裔である。 【1】豊階公 ― 丹波道主の一族で、本姓は川俣公である。延暦十九年に至り、河俣公御影が豊階公と改めた。「姓氏録」の河内皇別に「○階公……(中略)後に真人姓を賜った」とある。河内大県郡を本拠とする。 【2】豊階真人 ― 前項の氏が真人姓を賜った者で、仁寿二年十二月紀に「丹後権守従五位下・豊階公安人に、姓を真人と賜う」と見える。この安人は、貞観三年九月紀に「正五位上行刑部大輔・豊階真人安人が卒した。安人はもと河内国(大阪府)大県郡の人で、後に左京の人となった。本姓は川俣公、延暦十九年に河俣公御影が姓を豊階公と改めた、云々。仁寿二年、安人が上疏して言った」と見える。 (このあと原文は次の見出し「豊田(とよだ)」の記事に移る)豊田は豊前国(福岡県・大分県)宇佐郡にあり、もとは沙田郡といった。「和名抄」に「沙田郡、今は沙を豊に作る、止与太」と載せ、郡内に豊田郷を収める。 次に長門国(山口県)に豊田の地があって、中頃豊田郡と称した。また隠岐国(島根県)刈田郡も後世豊田郡と称し、「拾芥抄」に見える。そのほか、大和(奈良県)・相模(神奈川県)・上総(千葉県)・越後(新潟県)・美作(岡山県)・肥後(熊本県)などに豊田庄があり、また武蔵・陸中・加賀(石川県)・能登(石川県)・石見(島根県)・隠岐などにもこの地名が存する。このように地名が多いので、この氏はその流派が非常に多い。 【1】豊田造 ― 百済族であるが、書公の子孫と称する。天平宝字五年紀に「百済人・調阿気麻呂ら二十人に姓を豊田造と賜う」とあるのに由来する。また宝亀八年正月紀に「○田造信女」という者が見える。 【2】大倭御手代姓 ― 大和国山辺郡の豪族で、郡内の豊田邑より起こり、その地に拠る。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

豊澤トヨサハ三絃家に豊澤廣助あり。又武蔵、陸中等に此の地名存す。豊階トヨシナ開化天皇の後裔也。 1豐階公丹波道主の族にして、本姓川候公也。延暦十九年に至り、河俣公御影、豐階公と改む。姓氏錄、河内皇別に〓階公。……後に眞人姓を賜ふ。河內大縣郡を本居とす。 2豐階眞人前項氏の眞人姓を賜へる者にして、仁壽二年十二月紀に「丹後權守從五位下豐階公安人に、姓を眞人と賜ふ」と見ゆ。此の安人は、貞觀三年九月紀に「正五位上行刑部大輔豐階眞人安人·卒す。安人は、元河内國大縣郡の人、後に左京の人と爲る也。本姓は川俣公、延曆十九年に、河俣公御影·姓を豐階公と改む、云々。仁壽二年、安人·上疏して言す、便宜上、總べてプゼン條ウサ〃ニもと沙田郡と云へリ。和名抄に「沙田郡、今は沙を豐に作る、止與太」と載せ、郡内に豐田郷を收む。次に長門國に豐田の地ありて、中頃豊田郡と稱す。又謂岐國刈田郡も後世豐田郡と稱す、拾芥抄に見えたり。其の他、大和、相摸、上總、越後、美作、肥後等に豐田庄あり、又武藏、陸中、加賀、能登、石見、隱岐等にも此の地名存す。かく此の地名·多ければ、此の氏は其の流派甚だ多し。 1豐田造百濟族なれど、書公の裔と稱す。天平寳字五年紀に「百濟人調阿氣麻呂等の二十人に姓を、豐田造と賜ふ」とあるより出づ。又寶龜八年正月紀に〓田造信女」なる者見ゆ。 2大倭御手代姓大和國山邊郡の豪族にして、郡内豐田邑より起り、その地に據る。

姓氏家系大辞典 第4巻 342コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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豊沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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