薄田
うすだUsuda
ほかの読み: すすきだ
全国3188位 ・ 約4,100人
薄田(すすきだ)は、 【1】藤原姓 ― 美濃国の豪族で、手力雄社の古い鐘銘に「美濃国各務郡弓削田庄佐良木○長塚宮推鐘、檀那薄田源左衛門尉藤原祐貞」とある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- うすだ ・ すすきだ
- ローマ字
- Usuda
- 全国順位
- 全国3188位
- 推計人数
- 約4,100人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
薄田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「うすだ」と読む場合
Usuda読みをそのまま写した形
「すすきだ」と読む場合
Susukida読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 美濃国(岐阜県)
- 山城国(京都府)
- 若狭国(福井県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
薄田(すすきだ)は、 【1】藤原姓 ― 美濃国(岐阜県)の豪族で、手力雄社の古い鐘銘に「美濃国各務郡弓削田庄佐良木○長塚宮推鐘、檀那薄田源左衛門尉藤原祐貞」とある。 【2】橘姓 ― 山城(京都府)の名族で、「豊鑑」巻三に薄田若狭守が見える。また薄田隼人正兼相がある。兼相はもと岩見重太郎という。山城の人で本姓は橘、秀頼に仕え、慶長二十年五月六日に誉田山で戦死した。武名が高い。大坂堂島の富豪で名家であった天王寺屋はこの氏で、兼相の子孫という(一説に岩見重太郎の父・重左衛門は小早川隆景の家臣と伝えられる)。 【3】雑載 ― 岡山池田藩物頭用人にこの氏がある。薄根(すすきね)・鈴杵(すずきね)は陸前栗原郡駒形根神社の社家で、「こまがね」の項を見よ。濯(すすぐ)は「源平盛衰記」に見える渡辺党の名で、「わたなべ」の項を見よ。鈴久名(すずくな)・鈴沢(すずさわ)は信濃(長野県)にある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
薄田ススキダ1藤原姓美濃國の豪族にして、手力雄社の古鐘銘に「美濃國各務郡弓削田庄佐良木〓長塚宮推鐘、檀那薄田源左衞門尉藤原祐貞」とあり。 2橘姓山城の名族にして、豐鑑卷三に薄田若狭守·見ゆ。又薄田隼人正兼相あリ。兼相もと岩見重太郞と云ふ。山城の人:本姓橋、秀賴に仕へ、慶長二十年五月六日譽田山に戰死す。武名高し。大坂堂島の富豪にして名家なりし天王寺屋は、此の氏にして、兼相の裔なりと云ふ。(一に岩見重太郞の父重た衞門は、小早川隆景家臣と傳へらる)。 3雜載岡山池田藩物頭用人に、此の氏あり薄根ススキネ鈴杵スズキネ陸前栗原郡駒形根神社の社家也コマガネ條を見よ。濯ススグ源平盛衰記、渡邊黨の名也。ワタナベ條を見よ。鈴久名スズクナ鈴澤スズサハ信濃に在り。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
薄田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
薄田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「薄」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が薄田の前後にある名字です。
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