九曜

熊沢

くまざわKumazawa

全国923位 ・ 約2.0万人

熊沢(くまざわ)は、【1】藤原姓 ― 太田道灌の家臣に熊沢土佐吉定があり、その後裔が江戸幕府に仕えた。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
くまざわ
ローマ字
Kumazawa
全国順位
全国923位
推計人数
約2.0万人
全国比率
日本人のおよそ0.016%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

熊沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kumazawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「熊沢」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 499コマに「家紋九曜」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 土佐国(高知県)
  • 信濃国(長野県)
  • 山城国(京都府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

熊沢(くまざわ)は、【1】藤原姓 ― 太田道灌の家臣に熊沢土佐吉定があり、その後裔が江戸幕府に仕えた。家紋は九曜。「寛政系譜」に見える。 【2】三河(愛知県)の熊沢氏 ― 碧海郡の豪族で、「二葉松」に「赤渋城(赤渋村)、城主は熊沢一学、次に天野助兵衛・同甚四郎・同平七である」と見える。 【3】諏訪神家 ― 信濃(長野県)の熊沢氏で、家紋は丸に四ツ菱であるという。 【4】城州(京都府)藤原姓 ― 山城の(一字判読できない)士・藤田佐左衛門の後であるという。家紋は丸に三引、藤の丸。「寛政系譜」に見える。好昌 ― 渡好と続く。 【5】野尻氏流 ― 有名な熊沢蕃山の父・野尻藤兵衛一利は尾張知多郡比延の人で、加藤嘉明・山口重政・山崎家治らに仕えた。天草の乱に功があり、延宝八年八月二十三日、九十一歳で卒した。 この人は尾張(愛知県)の人・熊沢半右衛門守久の女(むすめ)亀女と婚し、玉女(岡山藩士森川九兵衛重行の妻)と蕃山とを生んだ。蕃山は幼名を佐七郎・二郎八・助右衛門と号し、字は伯継、不敢山人・不盈散人・有終庵主息遊と称した。中江藤樹に学び、備前侯に仕え、後に罪あって下総(千葉県・茨城県)の許我(古河)に幽せられ、七十三歳で歿した。 姫路藩士矢部七右衛門の女・市と婚し、継明(幼名は三太郎・右七郎)を生んだ。次子は中友松、その子は九一郎で、熊沢平三郎ともいう。その子が蕃山左七郎である。また蕃山の三男に蕃山武三郎、次に蕃山左内、またこう(宮野頼母の妻)、さい(池田三郎左衛門の妻)、さき(出納豊後守の妻)、ふさ(小森孫三郎の妻)、しゅん(中平之丞の妻)などがある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

熊澤クマサハ1藤原姓太田道灌の家臣に熊澤土佐吉定あり、其の後裔にて、江戶幕府に仕ふ、家紋九曜。寛政系譜に見ゆ。 2參河の熊澤氏碧海郡の豪族にして、二葉松に「赤澁城(赤澁村)、城主熊澤一學、次に天野助兵衞、同甚四郞、同平七也、」と見ゆ。 3諏訪神家信濃の熊澤氏にして、家紋丸に四ツ萎なりと云ふ。 4城州藤原姓山城の〓士藤田佐左衞門の後なりと云ふ。家紋丸に三引、藤の丸、寛政系譜に見ゆ。好昌-渡好也。 5野尻氏流有名なる熊澤蕃山の父野尻藤兵衞一利は、尾張知多郡比延の人にして、加藤嘉明、山口重政、山崎家治等に仕ふ。天草亂に功あり。延寶八年八月二十三日、九十一歲にて卒す。此の人、尾張の人熊澤半右衞門守久の女、亀女と婚し、玉女(岡山藩士森川九兵衞重行妻)と蕃山とを生む。蕃山、幼名佐七郞、二郞八、助右衞門と號し、字は伯繼、不敢山人、不盈散人、有終庵主息遊と稱す。中江藤樹に學び、備前侯に仕へ、後罪ありて下總許我に幽せられ、七十三にて發す。姫路藩士矢部七右衞門の女市と婚し、繼明(幼名三太郞、右七郞)を生む。次子中友松、その子九一郞、熊澤平三郞ともいふ。その子蕃山左七郞也。又蕃山の三男に蕃山武三郞、次に蕃山左内、又こう(宮野賴母の妻)、さい(池田三郞左衞門妻)、さき(出納豐後守妻)、ふさ(小森孫三郞妻)、しゆん(中平之丞妻)等あり。

姓氏家系大辞典 第2巻 499コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

熊沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

熊沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が熊沢の前後にある名字です。

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