浮田
うきたUkita
全国2160位 ・ 約6,890人
浮田(うきた)は、古代奥州に浮田国があり、そのほか武蔵に宇喜田、日向に浮田の地がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- うきた
- ローマ字
- Ukita
- 全国順位
- 全国2160位
- 推計人数
- 約6,890人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
浮田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ukita読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 陸奥国(東北地方)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 日向国(宮崎県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
浮田(うきた)は、古代奥州(東北地方)に浮田国があり、そのほか武蔵(東京都・埼玉県)に宇喜田、日向(宮崎県)に浮田の地がある。 【1】浮田国造 ― 「国造本紀」に染羽国と信夫国との間に浮田国を挙げている。よってこの国は奥州の内で、後の宇多郡の地であろうと考えられ、おそらくそうであろう。 国造家の出自については、「国造本紀」に「浮田国造は、志賀高穴穂(成務)朝に、瑞籬朝集神五世の孫・賀我別王を国造と定め賜う」と見える。すなわち毛野氏の一族であって、賀我別は「神功紀」に魔我別と見え、また「応神紀」に巫別とあるのもこの人であろうという。 この国造はこのように毛野氏の一族であって、その配下であったことから吉弥侯部と称し、神護景雲元年および延暦十五年に至り、上毛野陸奥公の姓を賜った(キミコベの項を見よ)。 「地名辞書」に「相馬領内所々に、日光二荒権現を奉祀する。思うにこれは浮田国造の祖を祭った名残であって、宇多・行方の地に毛野公の孫裔が占拠していたことを見る一つの証拠とする。 しかも近世、日光山に東照廟を置いてから、郡内の村里各所にある二荒祠を、誤って東照公を祭るものとする者が多い。そもそも徳川家康にどのような功徳が、特に宇多・行方に厚くあって、村里各所で祝祭されるのか。必ずしも論弁を待つまでもなく明らかである。 「奥相志」に『本藩は郡ごとに東照宮があり、他国にはこのようなことはない。あるいはいう、古くは郡民が熊野の神祠を建てて当所権現と称し、中古に誤って東照としたのだと。しかし村里に熊野の祠が多くあり、この説も信ずるに足りない。あるいはいう、元和二年に公の命があり、村ごとに高地に塚を築いて東照公茶毘の灰を配分したのだと』」……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
浮田ウキタ古代奧州に浮田國あり、其の他武藏に字喜田、日向に浮田の地あり。 1浮田國遺國遺本紀に染羽國と信夫國との間に浮田國を擧げたり。よりて此の國は奧州の內にて、後の宇多郡の地ならんかと考へらる、恐らく然るべし。國造家の出自については、國造本紀に「浮田國造、志賀高穴穗(成務)朝、瑞露朝集神五世孫賀我別王を國造と定賜ふ、」と見ゆ。卽ち毛野氏の一族にして、賀我別は神功紀に魔我別と見え、又應神紀に巫別とあるも此の人ならんかと云ふ。此の國造はかく毛野氏の族にして、其の配下たりしより、吉彌侯部と稱し、神護景雲元年及び延曆十五年に至リ上毛野陸奥公姓を賜ふ、キミコベ條を見よ。地名辭書に「相馬領內所々に、日光二荒權現を奉祀す。蓋し浮田國造の祖を祭れる餘風にして、宇太、行方の地に毛野公の孫裔の占據せるを觀るの一證とす。而も近世、日光山に東照廟を置きしより、郡人村里所在の二荒祠を、謬りて東照公を祭る者とする者多し。抑も、德川家康何の功德の特に宇多行方に厚きものありて、村里各所に祝祭せらる乎。必しも論辨を俟たずして明かなり。奥相志に『本藩每郡、東照宮あり、他邦此の事なし、或は曰ふ、古音郡民熊野の神祠を建て、稱して當所權現と曰ふ、中古謬りて東照と爲すと。而も村里熊野祠多く之あり、此の說も亦信ずるに足らざる也。或は曰ふ、元和二年、公命あり、每村高地に塜を築き、東照公茶毘の灰を配分すと。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
浮田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
浮田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「浮」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が浮田の前後にある名字です。
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