この名字はまだ図鑑に載っていません
全国22655位約187人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「浮橋」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
花菱
菱形の輪郭のなかに、四弁の花を描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 323コマに「紋丸花菱、ニ〓、もと宇久島と號す」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
浮橋(うきはし)は肥前国(佐賀県・長崎県)松浦郡字久島から起こった。下松浦党の一つであり、五島家の祖である。その出自については諸説があり決めがたい。家伝では武田氏の後とされているが、寛永系図はすでにこれを疑い述べていない。あるいは嵯峨源氏松浦党から出たとも言われる。その説に理があるようであるが、まず家伝の説を言えば、武田信義の四男有義の後裔で、武田義政の二男守盛が武田を改めて宇久と称したと言い、また寛政五島家呈譜には、武田信弘が宇久を称し、家盛と名乗ったとある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
浮橋ウキハシ字久ウク肥前國松浦郡字久島より起る。下松浦黨の一にして五島家の祖なり。その出自に関しては諸說ありて決し難し。家傳·武田氏の後と稱すれども、寛永系圖既に之を疑ひて上略す。或は嵯峨源氏松浦黨より出づと。その方理あるが如きも、先づ家傳の說を云へば、武田信義の四男有義が後裔、武田義政の二男守盛·武田を改めて宇久を稱すと云ひ、又寬政五島家呈譜には、武田信弘、宇久を稱し、家盛と名乘ると。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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