洲浜

浅羽

あさばAsaba

全国4651位 ・ 約2,350人

浅羽(あさは)は、「和名抄」の武蔵国入間郡に麻羽郷とあって安佐波と注する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
あさば
ローマ字
Asaba
全国順位
全国4651位
推計人数
約2,350人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

浅羽をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Asaba読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「浅羽」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 47コマに「家紋洲濱、丸に九の字、十六葉菊」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 遠江国(静岡県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

浅羽(あさは)は、「和名抄」の武蔵国(東京都・埼玉県)入間郡に麻羽郷とあって安佐波と注する。近世は浅羽庄と称して高麗郡にまたがる。そのほか遠江国(静岡県)山名郡にも浅羽庄がある。「東鑑」治水五年(養和元年)四月卅日乙亥条に「遠江国浅羽庄」とあり、また建久四年十二月五日条にも見える。この氏はこれらの地名を負ったもので、次の流れがある。 【1】児玉党 ― 武蔵の浅羽庄から起こった氏で、武蔵七党児玉党の一つ、すなわち有道氏の一族である。……(中略)「東鑑」にも浅羽氏の人が多く出ており、多くは武州の人と見える。「太平記」にも児玉党に浅羽氏の人を載せている。後世まで子孫が続いたと見える。 土地の人の説では、昔は浅羽左近将監という者がこの地を領したと伝えるが、正しくは左近将監の名は聞かない。あるいは先に載せた「東鑑」「太平記」等の諸書に見える中の人であろうか、定かではないという。 次に萱方村萱方城の条に「今は萱方新田という。浅羽下総守が住んだ城で、北条氏没落の時、天正十八年に廃城となり、下総守は小田原城へ籠もり、その子・左近(考えるに今市村の農民半七の先祖は浅羽下総守の子・右近という者で、忍城で戦死の後、子孫が相州(神奈川県)へ移ったというから、左近と右近は兄弟であったか)は、小田原没落の時この地へ落ち来て、後に野州(栃木県)免島の城へ落ち行った」とある。 やがてそこも立ち去って江戸へ赴いたなどと伝える。考えるに、浅羽氏は武蔵七党系図の児玉党に浅羽小太夫行業、その子・三郎行親、その子・三郎行光らがあり、「東鑑」にもその名が見える。また「太平記」文和元年の武蔵野合戦の条に、児玉党には浅羽・四方田・庄・桜井云々とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

淺羽アサハ和名抄武蔵國入間郡に麻羽〓ありて安佐波と註す。近世淺羽庄と稱し高麗郡に亘る。其外遠江國山名郡にも淺羽庄あり。東鑑治水五年(養和元年)四月卅日乙亥條に違江國淺羽庄、また建久四年十二月五日條にも見ゆ。此の氏は此等の地名を負ひしにて次の數流あり。 1兒玉黨武藏の淺羽庄より起りし氏にして武藏七黨兒玉黨の一、卽ち有道氏の族也。……東鑑にも淺羽氏の人あまた出、多くは武州の人と見えたリ。太平記にも兒玉黨に淺羽氏の人を載せたり。後世子孫連綿たりと見ゆ。土人の說に昔は淺羽左近將監と云へるが此地を領せしと傳ふれど、正しく左近將監の名は聞所なし。若くは前に載たる東鑑太平記等の諸書に見えし中の人ならんか、定かなるを知らず一と。次に萱方村萱方城條に「今萱方新田と云。淺羽下總守が住せし城にて北條氏沒落の時、天正十八年廢城となり、下總守は小田原城へ籠り、其子左近(案に今市村の農民半七が先祖は淺羽下總守が子右近と云ものなり、忍城にて戰死の後子孫相州へ移リしと云々されば左近と右近は兄弟なりしか)、小田原沒落の時當所へ落來り、後野州免島の城へ落行きしが、やがてそこも立去て江戶へ趣しなど傳へたり。按に淺羽氏は武藏七黨系圖兒玉黨に淺羽小太夫行業、其子三郞行親其子三郞行光等あり。東鑑にも其名見ゆ。又太平記文和元年武藏野合戰の條に兒玉黨には淺羽、四方田、庄、櫻井云々と。

姓氏家系大辞典 第1巻 47コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

浅羽と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

浅羽に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が浅羽の前後にある名字です。

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