天羽
あもうAmou
全国3067位 ・ 約4,290人
天羽(あまは・あもう)は、「和名抄」上総国に天羽郡があり、阿末波と注する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- あもう
- ローマ字
- Amou
- 全国順位
- 全国3067位
- 推計人数
- 約4,290人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
天羽をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Amou読みをそのまま写した形Amoパスポート(ヘボン式)
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 上総国(千葉県)
- 阿波国(徳島県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
天羽(あまは・あもう)は、「和名抄」上総国(千葉県)に天羽郡があり、阿末波と注する。天羽氏はこの地から起こった氏である。 ……(中略)この直胤は「東鑑」に「元暦元年、上総介広常の弟・天羽庄司直胤」と見え、また同書に天羽次郎真常(五・十一・十五)を載せる。 【1】房総の天羽氏 ― 天文の頃、天羽藤左衛門がある。 【2】常陸(茨城県)の天羽氏 ― 天羽源鉄斎は、常陸筑波郡手子生の城主で、天正十六年に没した。 【3】阿波(徳島県)の天羽氏 ―「故城記」那西郡の分に「天羽殿、千葉平氏、月星二編笠」と見える。 (このあと原文は次の見出し「天坊(あまぼう)」の記事に移る) 摂津(大阪府・兵庫県)にある。 (このあと原文は次の見出し「天原(あまはら)」の記事に移る) 「承久記」巻三に天原太郎という人が見える。 (このあと原文は次の見出し「天孫(あまひこ)」「天弘(あまひろ)」「天藤(あまふち)」の記事に移る) 天藤は陸奥(東北地方)の豪族である。慶長七年、天藤某が乱を起こして殺された。 (このあと原文は次の見出し「天生目(あまふめ)」「海部(あまべ)」の記事に移る) 海部は太古以来の大部族である。記紀の神話では、海部の神である大綿津見神(大海祇)が非常に勢力があり、彦火々出見尊・鵜草葺不合尊の二代の皇后を出したこともこれに由来する。 綿津見の「綿」は「海」であり、「津見」は原始のカバネで、綿津見とは海部の中の尊者という意味にほかならない。海部の頭領は最初、安曇氏であったようで、筑前儺県志賀島を本拠とし、海神綿津見神を奉斎した。 また「偉」は中国の史書にいう奴国(あるいは倭奴国)にあたる。後漢光武帝建武中元二年、使を漢に遣わして印綬を受け、その金印は徳川時代に志賀島から出た。これが日漢交通の最古の記録とされる。 このように海部を率いた安曇氏が記録上最も早く中国と交通したのは、海部の民が早くから航海・漁獲・殖民に従事した結果であると見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
天羽アマハアマウ和名抄上總國に天羽郡あり、阿末波と註す、天羽氏は此の地より起りし氏なり。……此直胤は東鑑に「元曆元年、上總介廣常の弟天羽庄司直胤」と見え、又同書天羽次郞眞常(五、十一、十五)を載せたり。……1房總の天羽氏天文の頃天羽藤左衞門あり。 2常陸の天羽氏天羽源鐵齋、常陸筑波郡手子生の城主たり、天正十六年卒す。 3阿波の天羽氏故城記那西郡分に「天羽殿、千葉平氏、月星二編笠」と見ゆ。天坊アマバウ攝津にあり。天原アマハラ承久記三に天原太郞なる人見ゆ。天孫アマヒコ天弘アマヒロ天藤アマフチ陸奥の豪族なり、慶長七年天藤某亂を作して殺さる。天生目アマフメ海部アマベ海部は太古以來の大部族なり記紀の神話に海部の神なる大綿津見神(大海祇)が頗る勢力ありて、彥火々出見尊鵜草葺不合尊二代の皇后を出せるも此處に歸因す。綿津見の「綿」は「海」にして「津見」は原始姓カバネ、卽ち綿津見とは海部中の尊者の意に外ならず。海部の頭梁は最初安曇氏なりしが如し、筑前儺縣志賀島を本據とし、海神綿津見神を奉齋す。又「偉」は漢史に所謂奴國(或は倭奴國)に當る、後漢光武帝建武中元二年、使を漢に遣はして印綬を受く、その金印德川時代志賀島より出づ。これ日漢交通最古の記錐なりとす。斯くの如く海部を率ゆる安曇氏が記錄上最も早く支那と交通したるは、海部の民が早くより航海漁獲殖民に從事せし結果にしてと見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
天羽に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「天」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が天羽の前後にある名字です。
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