目結

楢崎

ならざきNarazaki

全国2235位 ・ 約6,540人

楢崎(ならさき)は、 【1】佐々木氏族 ― 「佐々木系図」に「家行―山崎次郎○家(建久元年死)―盛家(楢崎源太、法名入四)―義長(同源六兵衛尉、法名入真、本名盛…

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基本情報

読み
ならざき
ローマ字
Narazaki
全国順位
全国2235位
推計人数
約6,540人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

楢崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Narazaki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「楢崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 503コマに「家紋四目結、釘拔」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 因幡国(鳥取県)
  • 近江国(滋賀県)
  • 壱岐国(長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

楢崎(ならさき)は、 【1】佐々木氏族 ― 「佐々木系図」に「家行―山崎次郎○家(建久元年死)―盛家(楢崎源太、法名入四)―義長(同源六兵衛尉、法名入真、本名盛重、文永○年○月○日死去、母は吉田主殿丞の女)―長長―家長―頼最―頼行―氏行―高行……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)」とある。以下の各項も参照。 【2】同じく山崎流 ― 「佐々木系図」に、また「山崎奥一右家―源八祐宗―長康(楢崎七郎)」と載せ、「中興系図」に「楢崎。宇多、山崎六郎憲家の男・源太盛家がこれを称す」とある。 【3】近江(滋賀県)の楢崎氏 ― 「江濃記」に「義賢みずから打ち立ち給う、二陣は楢崎壱岐守」とあるのは同上である。……(中略)また「寛政系譜」にこの氏の一家を載せ、家伝に「佐々木義賢の三男・高治が蒲生郡楢崎村に住んだことから楢崎を称した」という。家紋は四つ目結、釘抜。……(中略) 【4】備中備後の楢崎氏 ― 「太平記」巻三十八、諸国宮方蜂起の条に「一勢は多治目備中守、楢崎を侍大将にして千余騎、備中(岡山県)の新見へ打ち出でたるに、秋庭三郎が松山の城へ多治目・楢崎を引き入れる」とある。阿賀郡(哲多郡)新見邑鳶巣城に拠り、一に新見氏ともいう。 永禄四年、毛利家に属し、彦左衛門尉豊景が備後国(広島県)葦田郡久佐に移った。久佐に楢崎氏の古塁がある(「福山志料」)。また「安西軍策」に「楢崎弾正、楢崎三河守の末子・少輔次郎」を載せ、弾正のことは上原の項第十六項を参照。そのほかにも多く見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

楢崎ナラサキ佐々木氏族佐々木系圖に「家行-山崎次郞〓家(建久元死)-盛家(楢崎源太、法名入四)-義長(同源六兵衞尉、法名入眞、本名盛重、文永十六十五八十四死去、母は吉田主殿丞女)-長長-家長-賴最-賴行-氏行-高行新た축六郞左大師北部左太郎注永洋戰:きI广西1法名麵四-長重-賴重-信重二一家兵き太ル法名歌酒·長盛吉田次郎四舜I因幡房大輔房長康二郎良卯大師房-極重猶ほ以下各項を見よ。 2同上山崎流佐々木系圖に又「山崎奥一右家-源八祐宗-長康(憎崎七郞)」と載せ、中興系圖に「憎崎。宇多、山崎六郞憲家の男源太盛家·之を稱す」と。 3近江の憎崎氏江濃記に「義賢自身打立ち給ふ、二陣は猶崎壹岐守」とあるは、同上。……また寛政系譜に此の氏一家を載せ、家傳に「佐々木義賢の三男高治·蒲生郡楢崎村に住せしより、楢崎を稱す」と云ふ。家紋四目結、釘拔。……4備中備後の楢崎氏太平記卷三十八、諸國宮方蜂起條に「一勢は多治目備中守、楢崎を侍大將にて、千餘騎·備中の新見へ打ち出でたるに、秋庭三郞·松山の城へ多治目、楢崎を引入る」と。阿賀郡(哲多郡)新見邑鳶巢城に據り、一に新見氏とも云ふ。永祿四年、毛利家に屬し、彥左衞門尉豐景、備後國葦田郡久佐に移る。久佐に楢崎氏の古壘あり(福山志料)。又安四軍策に「楢崎彈正、楢崎三河守の末子少輔次郞」を載せ、彈正の事は上原條第十六項を見よ。その他にも多く見ゆ。

姓氏家系大辞典 第4巻 502コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

楢崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が楢崎の前後にある名字です。

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