蔦

戸張

とばりTobari

全国3304位 ・ 約3,900人

戸張(とはら・とばり・のぼりはら)は、下総・備後などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とばり
ローマ字
Tobari
全国順位
全国3304位
推計人数
約3,900人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

戸張をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tobari読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「戸張」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 306コマに「家紋蔦」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 備後国(広島県)
  • 筑後国(福岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

戸張(とはら・とばり・のぼりはら)は、下総(千葉県・茨城県)・備後(広島県)などにこの地名がある。 【1】ある家の由緒 ― 筑後守として簗田助縄に属した。このころ義氏が没し、ついに民間に下り、その子ある人は髪をそり、四卜と号した。東照宮(徳川家康)はこのあたりで鷹狩りをされたおりたびたびこの家に立ち寄られ、あるとき賜った品として御扇子を蔵していた。四卜の二代の間のことと思われ、これは筑後(福岡県)……(この先は原文の行が崩れて読み取れない) また「戸張氏(同村)。今死亡して孤女と母だけが残っている。御打入以前、五郎左衛門の先祖と二家に分れ、のちに度々里正を勤めた。東照宮がこのあたりで御放鷹のあった頃も里正であり、御案内申し上げた際、祖先の由緒をお尋ねになり、その子山三郎を召し出された。また当時、みずから賜ったとして、御扇子、および御筆の古歌短冊を蔵している。 今の旗下の士・戸張氏の略系によれば、祖先は『相馬大膳盛胤の男・戸張山城胤光は、下総国戸張村を領した。その子筑後胤政、その子戸張西卜胤定は、北条氏康に属し、後に元和七年三月十七日に没した。その子九右衛門胤房は、武州(東京都・埼玉県)二○半に蟄居し、寛永十四年十二月に没した。 その子山三郎は、東照宮が二○半領で御放鷹のあった時に召し出され、松平右衛門太夫組に属し、その子孫は分かれて三家となった。今の旗下の士・戸張氏等がこれである』という。 かの賜った御短冊は、地色が萌黄で、金砂子の雲形に松や笹などを金泥で描いていた。御扇子は両面とも金地に彩色の花鳥の絵があり、所々剥落していた」という。 【2】幕臣 ― 前の項の氏と同じく、「寛政系譜」に戸張氏二家を載せている。家譜に「師常の孫・胤綱より出づ」という。家紋は蔦。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

戶張トハラトバリノボリハラ下總、備後等に此の地名存筑後守とて築田助繩に屬せり。此の頃義氏卒し、終に民間に下リ、其の子某薙髮し、四トと號す。東照宮·此の邊御放鷹の時、屢々此の家に立寄らせ給ひ、或る時の賜物なりとて、御扇子を藏せり。按四トの二代の間なるずるに、これ筑後、べし。……また「戶張氏(同村)。今死亡して孤女と母とのみあり。御打入以前、五郞左衞門が先祖と二家に分れ、のちに度々里正を動む。東照宮この邊御放鷹ありし頃も里正にて、御案内申せし時、祖先の由緒を御尋ねありて、其の子山三郞を召出さる。また當時、御手自から賜ひしとて、御扇子、及び御筆の古歌短册を藏せり。今旗下の士戶張氏略系に據るに、祖先は『相馬大膳盛胤の男戶張山城胤光·下總國戶張村を領す。其の子筑後胤政、其の子戶張西ト胤定は、北條氏康に屬し、後元和七年三月十七日沒す。其の子九右衞門胤房と云ふ、武州二〓半に蟄居し、寛永十四年十二月沒す。其の子山三郞·東照宮二〓半領御放鷹の時、召出され、松平右衞門太夫組に屬し、其の子孫分れて三家となる。今の旗下の士戶張氏等これなり』と。かの賜はりし御短册は、地色萠黃にして、金砂子の雲形に松笹など金泥をもて畫けり。御扇子は兩面ともに、金地に彩色の花鳥の畫あり、所々剝落せり」と見ゆ。 3幕臣前二項氏に同じく、寬政系譜、戶張氏二家を載せたり。家譜に「師常の孫胤綱より出づ」と云ふ。家紋蔦。

姓氏家系大辞典 第4巻 306コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

戸張に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が戸張の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →