庭野

にわのNiwano

全国3300位 ・ 約3,900人

庭野(にはの・にはや)は、庭谷氏と同じく、上野(こうずけ)の豪族である。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
にわの
ローマ字
Niwano
全国順位
全国3300位
推計人数
約3,900人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

庭野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Niwano読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 常陸国(茨城県)
  • 尾張国(愛知県)
  • 上野国(群馬県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

庭野(にはの・にはや)は、庭谷氏と同じく、上野(こうずけ)の豪族である。岩松文書の至徳三年のものに「常陸国(茨城県)田中庄内中小目○知行、庭野左衛門太郎」と見える。 (このあと原文は次の見出し「丹羽建部(にはのたけるべ)」の記事に移る) 丹羽建部君は日本武尊の御裔で、尾張国(愛知県)丹羽の地にあった建部の伴造家である。「成務紀」に「武田王は、尾張丹羽建部君の祖」と見える。 (このあと原文は次の見出し「庭谷(にはや・にはたに)」の記事に移る) 【1】上野(群馬県)の庭谷氏 ― 庭野の項を参照。上野国甘楽郡庭谷邑より起こる。「古戦録」に「国峰の枝城庭屋へは、先方衆庭屋左衛門尉云々」とあり、「国志」に「甘楽郡庭谷城・庭谷左衛門、小幡組なり」と見える。 【2】宇多源氏 ― 「佐州役人付」に「宇多源氏、庭谷多三郎」と載せている。 【3】雑載 ― そのほか鯖江藩士に庭本周がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

庭野ニハノニハヤ庭谷氏に同じく、上野の豪族也。岩松文書、至德三年のものに「常陸國田中庄内中小目〓知行、庭野左衞門太郞」と見ゆ。丹羽建部ニハノタケルペ丹羽條、及び建部條を見よ。。丹羽建部君日本武尊の御奇にして、尾張國丹羽の地にありたる建部の伴遺家也し成務本紀に「武田王は、尾張丹羽建部君の祖」と見ゆ。庭谷ニハヤニハタニ上野の庭谷氏庭野條參照。上野國甘樂郡庭谷邑より起る。古戰錄に「國峰の枝城庭屋へは、先方衆庭屋左衞門尉云々」と載せ、國志に「甘樂郡庭谷城·庭谷左衞門、小幡組也」と見ゆ。 2宇多源氏佐州役人付に「宇多源氏、庭谷多三郞」.と載せたり。 3雜載その他、鯖江藩士に庭本周あり。

姓氏家系大辞典 第4巻 573コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

庭野に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が庭野の前後にある名字です。

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