丸に蔦

小菅

こすげKosuge

全国887位 ・ 約2.1万人

小菅(こすげ/こすが)は、甲斐・武蔵・信濃・羽前などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
こすげ
ローマ字
Kosuge
全国順位
全国887位
推計人数
約2.1万人
全国比率
日本人のおよそ0.017%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

小菅をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kosuge読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「小菅」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 21コマに「家紋丸に蔦、櫻花、或は云ふ、此の氏は武田信秋四代小菅信重の後」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 甲斐国(山梨県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小菅(こすげ/こすが)は、甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)・信濃(長野県)・羽前(山形県)などにこの地名がある。 【1】藤原姓 ― 甲斐国都留郡の小菅村から起こった。……(中略)『寛政系譜』にこの末流と思われるもの一家を挙げる。ただし清和源氏義光流とする。家紋は丸に蔦、桜花。あるいは、この氏は武田信秋の四代・小菅信重の子孫だという。 その居城の小菅城(小菅村)は『甲斐国志』に「本村の川窪、矢弓明神の後ろの山にある。高さ半町ばかり、城の上は少し平らで老松が茂る。四隅に天神・地神・八幡を相殿に祭る小祠がある。これは小菅遠江守信景の居館の趾である。 この人は他の記録にも載せず、ただ文明十年十二月十三日の矢弓明神の棟札に(ここに「コスキヤ」「コスケ」「三元山田城」「神亀元年五月紀」「姓を古衆連と賜う」といった別項の断片が入り乱れて混じる)『藤原朝臣小菅遠江守信景、郎信久』とあるのみ。 小菅・丹波(京都府・兵庫県)の両村の寺社は皆、遠江守の建立の由の記録がある。この両村の領主であったからである。土地の人の伝説に、何の戦であったか、信景は武州川野村の内、入道という者の備えの先にかかって亡びた(このあたりも行が乱れ、「嫡子の次郎三」「川崎まで出馬したので、杉田」といった断片が交錯する)」と見える。 【2】清和源氏武田氏流 ― もと小宮山氏。正重に至って舅の小菅信久の氏を冒した。……(中略)(このあと「役帳に武蔵の小菅氏」「信濃の小菅氏」「丸に三菱」「稲毛小田村」「小菅摂津守」「『寛政系譜』は三家を収める」「橘樹郡にある」「高井郡小菅邑から起こると見える」といった断片が入り乱れる) 【5】伊勢(三重県)の小菅氏 ― この国の飯高郡の豪族で、郡内の伊勢寺城に拠った。往昔、小菅備後守が伊勢寺に居り、後に久瀬五郎左衛門尉がまた居住した(『五鈴遺響』)といい、『三国地志』にも同様に見える。 【6】下総猿島郡に小菅氏があり、同様に見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小菅コスゲコスガ甲斐、武藏、信濃、羽前等に此の地名存す。 1藤原姓甲斐國都留郡の小菅村より起る。……寛政系譜に此の末流と思はるゝもの一家を擧ぐ、但し〓和源氏義光流とす。家紋丸に蔦、櫻花、或は云ふ、此の氏は武田信秋四代小菅信重の後なりと云ふ。其の居城·小菅城(小菅村)は甲斐國志に「本村川窪矢弓明神の後山にあり。高さ半町許、城上少し平かにして、老松茂れり。四隅に天神地神八幡を相殿に祭る小祠あリ。是れ小菅還江守信景居館の趾なり。此の人·他の記錄にも載せず、唯文明十年十二月十三日、矢弓明神の棟札に一九コスキヤ-コスケ三元山田城甲斐、武藏、信濃、神龜元年五月紀姓を古衆連と賜コシロ-コスイヘ三元上藤原朝臣小菅遠江守信景、郞信久』と有るのみ。小菅、嫡子次郞三丹波、兩村の寺社は、皆遠江守建立の由記錄あり。此の兩村の領主なりし故なり。土人の傳說に、何の戰なりしにや、信景·武州川野村の内、入道と云ふ者の備先にかゝりて亡びける川崎まで出馬せしかば、杉田2とぞ、」と見ゆ。〓和源氏式田氏流もと小宮山氏、正重に至り、舅小菅信久の氏を冒す。……板、文、役帳に武藏の小菅氏信濃の小菅氏丸に三菱。稻毛小田村」「小菅攝津守、寛政系諸三家を收む。橘樹郡にあり。高井郡小菅邑より起ると見ゆ。知行四十貫八百四家紋打小田原とぞ。 5伊勢の小菅氏當國飯高郡の豪族にして、の字城山に在り。郡内の伊勢寺城に據る。往昔、小菅備後守·之城は伊勢寺に居り、後に久瀨五郞左衞門尉、又居住せり(五鈴遺響)と云ひ、三國地志にも6下總猿島郡に小菅氏あり、同樣見ゆ。

姓氏家系大辞典 第3巻 21コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

小菅と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

小菅に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が小菅の前後にある名字です。

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