小瀬
こせKose
全国3283位 ・ 約3,940人
小瀬(をせ・こせ)は、常陸・甲斐・美濃・安医・周防・岩代などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- こせ
- ローマ字
- Kose
- 全国順位
- 全国3283位
- 推計人数
- 約3,940人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
小瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kose読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 甲斐国(山梨県)
- 美濃国(岐阜県)
- 周防国(山口県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
小瀬(をせ・こせ)は、常陸(茨城県)・甲斐(山梨県)・美濃(岐阜県)・安医・周防(山口県)・岩代(福島県)などにこの地名がある。また尾瀬と通じて用いられる。 【1】清和源氏佐竹氏流 ― 常陸国那珂郡小瀬邑から起こる。佐竹系図に「貞義の三男・義春(小瀬三郎)」とある後である。その子・義益が家を継ぎ、その弟の孫次郎常悦が下小瀬の祖である。なおその弟に孝繁、義長(源四郎、越中守)がある。……(中略) 「常陸国志」に「小瀬城は上小瀬にあり、義春が初めて築城し、小瀬三郎と称した。建武の初め常陸分となる(「太平記」「畑田文書」)。建武二年、兄・義篤と共に尊氏に属し、直義の兵に属して、しばしば官軍を破り、三年二月には直義を危機から救った。 四年、常陸におり、春日侍従顕国と戦い、功が少なくなかった。四男があり、長男の義益が家を継いで宮内少輔に任じ、次は某、孫二郎と称し、下小瀬の祖である」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
小瀨ヲセコセ常陸、甲斐、美濃、安醫、周防、岩代等に此の地名あり。又尾瀬と通じ用ひらる。 1〓和源氏佐竹氏流常陸國那珂郡小瀨邑より起る。佐竹系圖に「貞義の三男義春(小瀨三郞)」とある後也。其の子義益·家を隴ぎ、其の弟孫次郞常悅下小瀬の祖也。猶ほ其の弟に孝繁、義長(源四郞、越中守)あり。……常陸國志に「小瀨城は上小瀬にあり、義春初めて築城し、小瀨三郞と稱す。建武の初め常陸分となる(太平記、畑田文書)。建武二年兄義篤と共に尊氏に屬し、直義の兵に屬し、屢々官軍を破り、三年二月、直義を危機より救ふ。四年常陸に在リ、春日侍從顯國と戰ひ、功少からず。四男あり、長義益·家を繼いで宮内少輔に任ず。次は某、孫二郞と稱す、下小瀨の祖なり」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
小瀬と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
小瀬に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「小」の字を含む名字
「小瀬」で始まる・小瀬を含む名字
小瀬の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が小瀬の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
