冨田

とみたTomita

全国493位 ・ 約4.1万人

富田(とみた/とんだ/とだ)は、その読みは多いが、ここに併せて収める。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とみた
ローマ字
Tomita
全国順位
全国493位
推計人数
約4.1万人
全国比率
日本人のおよそ0.033%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

冨田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tomita読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 周防国(山口県)
  • 摂津国(大阪府・兵庫県)
  • 尾張国(愛知県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

富田(とみた/とんだ/とだ)は、その読みは多いが、ここに併せて収める。ただし同名の各項も参照してほしい。『和名抄』は周防国(山口県)都濃郡に富田○を載せて「止無多」と注記し、のちに富田邑がある。また河内国(大阪府)丹比郡に富田庄、摂津(大阪府・兵庫県)に富田荘・富田御厨があり、そのほか伊勢(三重県)・尾張(富田庄・富田下庄)・近江(滋賀県)・越前(福井県)・但馬(兵庫県)・周防・阿波(徳島県)・讃岐(香川県)・豊後(大分県)・日向(宮崎県)などに富田庄がある。また三河(愛知県)・相模(神奈川県)・武蔵(東京都・埼玉県)・上総(千葉県)・下総(千葉県・茨城県)・常陸(茨城県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸奥(東北地方)・羽前(山形県)・加賀(石川県)・出雲(島根県)・紀伊(和歌山県)など、この村名は非常に多い。 【1】桓武平氏 ― 伊勢平氏の一つで、伊勢国朝明郡の富田庄から起こった。この地は『東鑑(吾妻鏡)』に富田荘、『神鳳抄』に富田御厨とある。いくつかの村に分かれ、その東富田村は宿場にあたり、民家が多いという。この氏の館跡は今どこにあるか詳しくないが、おそらく東富田村の富田城址の地だろうという。 『名勝志』に、次のようにある。「富田進士・平家資(一に家助)がここに居た。元○元年七月、平氏の一族が乱を起こし、家資も加わったが、大内惟義に攻められて逃げ走った。文治三年、幕府はこの地を工藤祐経に与え、富田庄六か村を授けた。このとき後白河院の御領であったので、守護代の蒔田相模守もここに住んだとも伝える。 元久元年に至って平氏が乱を起こした。家実の子・度光とその子・基度がまたここに拠って伊勢国を乱した。伊賀(三重県)・伊勢の守護、首藤経俊は兵が少なくて逃走した。平賀朝雅が命を受けてこれを討った。四月、基度らは鈴鹿の関を塞いで往来を断った。朝雅はそこで美濃(岐阜県)を経て伊勢に入り、まず本館を襲って接戦が長く続いた」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

富田トミタトンダトダ其の訓多けれど、此處に併せ收む、但し同名各條參照。和名抄、周防國都濃郡に富田〓を收め、止無多と註す、後に富田邑あり。又河內國丹比郡に富田庄、攝津に富田莊、富田御厨、そ〇個、伊勢、尾張(富田庄、富田下庄)、近江、起前、但馬、周防、阿波、讚岐、豐後、日向等に富田庄あり。又三河、相摸、武藏、上總、下總、常陸、上野、下野、磐城、岩代、陸奥、羽前、加賀、出雲、紀伊等、此の邑名鼠る多し。 1相武平氏伊勢平氏の一にして、同國朝明郡富田庄より起る。この地は東鑑に富田莊、神鳳抄に富田御厨とあり。數邑に分れ、其の東富田村は驛舍に當リ、民戶多しとぞ。この氏の舘址は今所在詳ならざれど、蓋し東富田村富田城址の地ならんかと云ふ。名勝志に「富田進士平家資(一に家助)之に居る。元解元年七月、平氏の族·亂を作す。家資亦與る。大内惟義の攻むる所となり、逃れ走る。文治三年、幕府·此の地を以つて工藤祐經に賜ひ、富田庄六ヶ村を奥ふ。此の時、後白河院の御領たるを以つて、守護代蒔田相摸守·亦之に住すとも傳ふ。元久元年に至リ、平氏·亂を作す。家實の子度光、其の子基度、又此に據リ、以つて本州を亂る。伊賀伊勢守護首藤經俊·兵寡うして逃走す。平賀朝雅·命を奉じて之を伐つ。四月、基度等·鈴鹿の關を塞ぎ、徃來を斷つ。朝雅·乃ち美濃を經て本州に入り、先づ本舘を襲ひ、接戰刻を移す。

『姓氏家系大辞典』はこの名字を「富田」の表記で立項しています。引用はその項のものです。

姓氏家系大辞典 第4巻 320コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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冨田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

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