八塚
やつづかYatsuzuka
全国4098位 ・ 約2,860人
八塚(やつか)は、「紀伊続風土記」に「那賀郡粉河荘粉河村の八塚常三郎、その祖を八塚左衛門太夫という。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- やつづか
- ローマ字
- Yatsuzuka
- 全国順位
- 全国4098位
- 推計人数
- 約2,860人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
八塚をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yatsuzuka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 陸奥国(東北地方)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
八塚(やつか)は、「紀伊続風土記」に「那賀郡粉河荘粉河村の八塚常三郎、その祖を八塚左衛門太夫という。奥州(東北地方)熊取谷を押領した。永禄年中に没落してこの村に来た。三代目を善兵衛といい、天正年中、織田家の高野攻めのとき堀久太郎に属し、飯盛山の砦に忍び入って功があった。このとき氏を郡と命じられたため、八塚の姓は弟に譲った。子孫の九左衛門友之という者に至って再び八塚に復し、代々当地に住む」とある。 また同邑の地士六十人のうちに「田林利兵衛、田林直七、八塚次郎」などが見え、また武蔵(東京都・埼玉県)などに存する。 (このあと原文は同じ読みの見出し「八槻」の記事に移る) 八槻(やつき)は、……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)一を黒鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を回邪爾秘媛、六を栲猪、七を神石萱、八を狭磯名といった。それぞれ一族があって、八か所の石室に屯していた。この八か所はみな要害の地であったので、朝廷の命に従わなかった。国造・磐城彦が敗れて逃げ去った後は、百姓を荒らし掠めることが止まなかった。 纏向日代宮に御宇した(景行)天皇が日本武尊に詔して土蜘蛛を征討させたところ、土蜘蛛らは力を合わせて防ぎ、かつ津軽の蝦夷(北海道)の多くと謀って、猪鹿弓・猪鹿矢を石城に連ねて官兵を射たので、官兵は進み歩むことができなかった。 日本武尊が自ら○弓槻矢(この一節は原文が崩れている)を執って七発、八発と射放たれると、七発目の矢は雷のように鳴り響いて蝦夷の徒を追い退け、八発目の矢は八つの土蜘蛛を射貫いてその場に倒れた。その土蜘蛛を射た矢が落ちた跡は、ことごとく芽生えて槻の木となった。その地を八槻郷といい、そこには正倉があった。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
八塚ヤツカ紀伊續風土記に「邦賀郡粉河庄粉河村八塚常三郎。其の祖を八塚左衞門太夫といふ。奧州熊取谷を押領す。永祿年中沒落して當村に來る。三代目を善兵衞といふ、天正年中、織田家·高野攻の時、掘久太郞に屬し、飯盛山の砦に忍び入りて功あり。此の時、氏を郡と命ぜらる。故に八塚の氏は第に讓れり。子孫九左衞門友之といふものに至りて、再び八塚に復して、世々當時に住す。當時にらる」と。又同邑地士六十人の内に「田林利兵衞、田林直七、八塚次郎」等見え、又武藏等に存す。……一を黑鷲、二を神衣媛、三を草野灰、四を保保吉灰、五を回邪爾秘媛、六を栲猪、七を神石萱、八を狹磯名と曰ひき。各々族有りて八處の石室に屯みき。此の八處は皆要害の地なりしかば、因りて上命に順はざりき。國造磐城彦·敗れ走げし後は、百姓を廃し掠めて止むことなし。纏向日代宮御宇(景行)天皇·日本武尊に詔して、土知朱を征討たしめたまひしに、土知朱等力を合せて防禦ぎ、且つ津輕の蝦実許多と謀り、猪鹿弓、猪鹿矢を石城に連ねて、官兵を射ければ、官兵進み歩むこと能はざりき。日本武尊·親ら〓弓槻矢を執り執らして、七發、八費、發ちたまひしかは、七發の矢は雷の如く鳴り響きて、蝦夷の徒を追ひ退け、八發の矢は八の土知朱を射貫きて、立ところに發しき。其の土知朱を射し征筋は、悉に芽生ひて觀の木と成りき。其の地を八槻〓と云ひ、即ち正倉有り。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
八塚に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「八」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が八塚の前後にある名字です。
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