三春
みはるMiharu
全国9829位 ・ 約766人
三春(みはる)は、前の項を参照。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- みはる
- ローマ字
- Miharu
- 全国順位
- 全国9829位
- 推計人数
- 約766人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
三春をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Miharu読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 磐城国(福島県・宮城県)
- 出羽国(山形県・秋田県)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
三春(みはる)は、前の項を参照。 【1】坂上姓 ― 磐城国(福島県・宮城県)田村郡の三春邑から起こる。田村の項を見よ。 【2】出羽(山形県・秋田県)の三春氏 ― 小野寺氏配下の将で、戦国の頃には三春信濃守が見え、「永慶軍記」に「雄勝郡稲庭の城主・小野寺申宮助輝道は、代々の郎等である三春信濃が湯沢の城に居住していたのを、自分の城に移し替えようとしたが、三春は敢えてその下知に従わず、ついに輝道の側がこれを討って湯沢の城に住んだ」とある。 (このあと原文は次の見出し「三原田」以降の記事に移る) 三原田(みはるだ・みはらだ)は、武蔵(東京都・埼玉県)などにこの氏がある。 見広(みひろ)は、下にこの地名がある。 乳部(みぶ・にふ)は、皇族の養育に仕えた人々、およびその封民をいう。詳しくは壬生部の項を見よ。上宮乳部は御名代部の一種で、「皇極紀」に「上宮乳部之民」とあるのは、上宮聖徳太子の壬生の民である。 美夫(みぶ)も同上。「和名抄」の三河国(愛知県)八名郡に美夫○がある。 美敷(みふ)も同上。「和名抄」の周防国(山口県)大島郡に美敷○を収める。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
三春ミハレ前項參照。 1坂上姓磐城國田村郡の三春邑より起る〇〇田村條を見よ。 2出羽の三春氏小野寺氏配下の將にして、戰國の頃には三春信濃守·見え、永慶軍記に「雄勝郡稲庭の城主小野寺申宮助輝道は、わが需代の郞等三春信濃が湯澤の城に居住せしを、我が城に移し替へ。んとせられしも三春敢へて其の下知に隨はず、終に彼を討つて湯澤の城にぞ住しける」と三原田ミハルダミハラダ武藏等に此ミハル-ミハラタの氏存す。見廣ミヒロ下に此の地名あり。乳部ミブニフ皇族御養育に仕へ奉リ人人、及び其の封民を云ふ。詳細はミブベ(壬生部)條を見よ。。上宮乳部御名代部の一種にして、皇極紀に「上宮乳部之民」とあるは、上宮聖德太子の壬生の民也。美夫ミブ同上。和名抄、三河國八名郡に美夫〓あり。美敷ミフ同上。和名抄、周防國大島郡に美數〓を收む。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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