三戸

みとMito

ほかの読み: さんのへ

全国1966位 ・ 約7,820人

三戸(みと・みつど・さんのへ)は、三角、伊豆・相模、陸奥などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みと ・ さんのへ
ローマ字
Mito
全国順位
全国1966位
推計人数
約7,820人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

三戸をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

「みと」と読む場合

Mito読みをそのまま写した形

「さんのへ」と読む場合

Sannohe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊豆国(静岡県)
  • 相模国(神奈川県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

三戸(みと・みつど・さんのへ)は、三角、伊豆(静岡県)・相模(神奈川県)、陸奥(東北地方)などにこの地名がある。 【1】清和源氏 ― 伊豆の豪族で、田方郡三戸(三津)荘から起こる。三津御厨のあった地である。この氏は源三位頼政の男・伊豆守仲綱の裔と伝えられる。「みつ」の項を参照。 氏人は「源平盛衰記」に三戸次郎があり、工藤介と仲が悪く常に争ったという。工藤・加藤などの項に詳しい。 また「太平記」巻二十九に「左馬頭の御後見・三戸七郎はその夜、同志に討たれて半死半生であったが、行方を知れずになった」といい、巻三十、薩埵山合戦の条に「武蔵守師直の一族に三戸七郎という者を大将に取り立て、薩埵山の後攻めをしようと企てた」とある。 また醍醐報恩寺文書、観応二年正月の関東注進状案に「若御前には三戸七郎、彦部次郎」を載せ、また「北条九代記」に「足利基氏が三戸七郎を召し、『汝はわが家で執事職をも承るほどの者だが、高家の一族であるから』として、これを殺害させた」など多く見える。なお第六項を見よ。また松下の項を参照。 【2】桓武平氏三浦氏族 ― 相模国三浦郡三戸邑から起こる。三浦義澄の男・十郎友澄が三戸と称し、承久合戦で討死した。 【3】高階姓高氏族 ― 第一項の氏に同じであろう。「みおの」の項を見よ。……(中略)これより前、巻一に三戸治部少輔があり、長尾出雲守に討ち取られた。また下総小金本土寺過去帳に「三戸治部少将妙栄、永享九年五月」を載せる。 【5】備後(広島県)の三戸氏 ― 「芸藩通志」御調郡の条に「三戸馬之助宅址は宮内村にある。馬之助は、勝山故城主渋川家臣である」という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

三戶ミトミツドサンノヘ三角、伊豆.相摸、陸奥等に此の地名あり。 1〓和源氏伊豆の豪族にして、田方郡三戶(三津)莊より起る。三津御厨のありし地也。此の氏は源三位頼政の男伊豆守仲綱の裔と傳へらる、ミツ條參照。氏人は源平盛衰記に三戶次郞あり、公藤介と仲惡しく常に軍すと。工藤、加藤等の條に詳か也。又太平記卷二十九に「左馬頭の御後見三戶七郞は其の夜、同志打せられて、半死半生に候ひしが、行方を知らず成り候ひぬ」と云ひ、卷三十、薩埵山合戰條に「武藏守師直が一族に三戶七郞と云ふ者を大將に取リ立て、薩埵山の後攻をせんと企てける」と又醍醐報恩寺文書觀應二年正月の関東注進狀案に「若御前には三戶七郞、彥部次郞」と載せ、又北條九代記に「足利基氏·三戶七郞を召さしめ、汝は我が家にて執事職をも承はる程のものなるが、高家の一族なればとて、之を殺害せらる」など多し。なほ第六項を見よ。又松下條參照。 2頓武平氏三浦氏族相摸國三浦郡三戶邑より起る。三浦義澄の男十郞友澄·三戶と稱す、承久合戰討死。 3高階姓高氏族第一項氏に同じかるべミヲノ條を見よ。……これより前、卷一に三戶治部少輔あり、長尾出雲守に討取らる。また下總小金本土寺過去帳に「三戶治部少將妙榮·永享九五月」を載す。 5備後の三戶氏藝藩通志、御調郡條に「三戶馬之助宅址は宮内村にあり。馬之助は、勝山故城主澁川家臣なり」といふ。

姓氏家系大辞典 第6巻 87コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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