額田
ぬかだNukada
ほかの読み: ぬかた
全国4332位 ・ 約2,640人
額田(ぬかた)は、古代、額田部という大部族があり、その部民の住居したところから起こった地名である。
2件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- ぬかだ ・ ぬかた
- ローマ字
- Nukada
- 全国順位
- 全国4332位
- 推計人数
- 約2,640人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
額田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Nukada読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 丹波国(京都府・兵庫県)
- 甲斐国(山梨県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
額田(ぬかた)は、古代、額田部という大部族があり、その部民の住居したところから起こった地名である。 ……(この間、原文には額田氏とは無関係と見られる合戦の物語文が紛れ込んでいる。名越殿が討たれたと聞いて丹波路へ馬を急がせる者があり、奴可四郎・中吉らが六波羅へ引き返すかどうかを論じる場面などが続く)…… 彼ら二人は六波羅へ帰り着き、事の次第を申し上げたという話が諸国に多い。この氏はその伴造およびその部民、またはこの地名を負ったものである。地名は、ぬかたべの項の各項を参照。 【1】額田臣 ― 和邇春日氏の一族である物部氏より分かれる。「姓氏録」に、市川臣の四世孫に額田臣を載せている。ふるの項を参照。
原文(文語体)を見る
額田ヌカタ古代額田部なる大部族ありて、その部民の住居せしより起りし地名·ヌカタ口子窖の長酒盛にてさて休みぬ。結句名越殿·討たれ給ひぬと聞えへぬれば、丹波路を指して馬を早め給ふは、此の人·如何樣野心を挿み給ふかと覺ゆるぞ。さらんに於ては、我等何く迄か相從ふべき。いざや是より引返して六波羅殿に此の由を申さんと云ひければ、奴可四郞いしくも宣ひたり。我も事の體怪しくは存じながら、是も又如何なる配立かある覽と、兎角案じける間に、早今日の合戰には迦れぬる事こそ安からね、但し此の人·敵に成り給ひぬと見ながら、只引返したらんは、餘に云ひ甲斐なく覺ゆれば、いざ一矢射て歸らんと云ふ儘に、中差取つて打番へ、轟懸けてかさへ、打つて廻さんとしけるを、中吉·如何なる事ぞ、御邊は物に狂ふか、我等値に二三十騎にて、あの大勢に懸合せて、犬死したらんは本意歟。嗚呼の高名はせぬに如かず、唯事故なく引返して、後の合戰の爲に命を全したらんこそ、忠義を存たる者也けりと、後までの名も留まらんずれと、再往制止ければ、げにもとや思ひけん、奴可四郞も中吉も、大江山より馬を引返して、六波羅へこそ打歸りけれ。彼等二人聽せ參じて、事の由を中全國に多し。此の氏は其の伴造、及び其の部民、または此の地名を負ひし也地名はヌカタベ條各項を見よ。 1額田臣和邇春日氏の族なる物部氏より分る。姓氏錄·市川臣の四世孫に額田臣を載せたり、フル條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
額田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「額」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が額田の前後にある名字です。
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