赤江
あかえAkae
全国8899位 ・ 約897人
赤江(あかえ)は、「北越軍記」に「水正二年、長尾為景が岩瀬で一戦し、為景が大利を得て岩瀬の城主・赤江出雲守久次を討ち取った」と見える。
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基本情報
- 読み
- あかえ
- ローマ字
- Akae
- 全国順位
- 全国8899位
- 推計人数
- 約897人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
赤江をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Akae読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越中国(富山県)
- 山城国(京都府)
- 伯耆国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
赤江(あかえ)は、「北越軍記」に「水正二年、長尾為景が岩瀬で一戦し、為景が大利を得て岩瀬の城主・赤江出雲守久次を討ち取った」と見える。越中(富山県)の豪族である。 紅江(あかえ)は、堀尾山城守殿給帳に「紅江弥次兵衛、百二石」と見える。 赤永(あかえい・あかなが)は、伯耆国(鳥取県)会見郡の名族である。「伯耆志」に「もとは赤木氏、後に赤穴氏、さらに赤永と改めた。出雲赤穴姓の一族で、元和年間に久次郎が分家して出雲堀尾氏に仕え、二宮と称した。後に本家に帰った」とある。 赤江橋(あかえばし)は、天保四年の佐州諸役人並町同心牢守御船水主姓名書に赤江橋茂三郎がある。この氏は平姓であるという。 赤枝(あかえだ・あかえ)は、備前地方にこの氏が多い。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
赤江アカエ北越軍記に「水正二年長尾爲景岩瀨にて一戰す、爲景大利を得、岩瀨の城主赤江出雲守久次を討取」と見ゆ。越中の豪族なり。紅江アカエ、ベニエ掘尾山城守殿給帳に「紅江彌次兵衞、百貳石」と見ゆ。赤永アカエイ、アカナガ伯耆國會見郡の名族なり。伯耆志に「舊赤木氏、後赤穴氏、更に赤永と改む。出雲赤穴姓の族なるんっ元和中久次郞、家を分ちて出雲堀尾氏に仕ふ、二宮と云ふ、後家に歸る」とあリ赤江橋アカエバシ天保四年の佐州諸役人並町同心牢守御船水主姓名書に赤江橋茂三郞あり。此の氏は平姓なりと云ふ赤枝アカエダ、アカエ備前地方に此の氏多し。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
赤江に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「赤」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が赤江の前後にある名字です。
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