釘抜

堀江

ほりえHorie

全国344位 ・ 約6.3万人

堀江(ほりえ)は、『和名抄』が越前国坂井郡に堀江郷・余戸○を載せ「保里江」と注記する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ほりえ
ローマ字
Horie
全国順位
全国344位
推計人数
約6.3万人
全国比率
日本人のおよそ0.051%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

堀江をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Horie読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「堀江」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 476コマに「家紋丸に河骨、竹雀、釘拔」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越前国(福井県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 若狭国(福井県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

堀江(ほりえ)は、『和名抄』が越前国(福井県)坂井郡に堀江郷・余戸○を載せ「保里江」と注記する。また武蔵(東京都・埼玉県)に堀江庄・堀江郷、若狭(福井県)・越中(富山県)・阿波(徳島県)に堀江庄、そのほか摂津(大阪府・兵庫県)・遠江(静岡県)・下総(千葉県・茨城県)・讃岐(香川県)・○などにこの地名が多い。 【1】利仁流藤原姓 ― 越前の豪族で、河口庄司の斎藤氏の子孫だという(次項を参照)。一族には『朝倉始末記』に堀江七郎景重が見え、朝倉敏景に従ったことを載せる。また『富樫記』に「越前国の堀江をはじめ、上意に従って政親に味方した。政親は加賀国(石川県)高尾の城に籠もる」などと見え、また堀江中務丞景忠がいる(第三項を参照)。永禄年間に至って堀江の一族は朝倉義景に討たれ、その家は没落した。芦原村大字番田にその跡地がある。また堀江城は堀江○経が築いたなどと見える。 【2】清和源氏新田氏流 ― 坂井郡の堀江郷から起こった。前項と同族か(原文の「清相蓬氏新回」は崩れているが、下に引く『中興系図』から清和源氏新田氏流と分かる)。 星合系図には「堀江左衛門大夫義藤は、新田義顕の六世の孫である。義顕に二子があり、嫡子は越前堀江に住み、二男は同国本庄に住んだ。それゆえ嫡子は堀江と号した。義藤の祖父・義賢が初めて伊勢国(三重県)に至り、大河内親○に仕えた。それより大河内家の臣となった」といい、『中興系図』に「堀江。清和源氏、新田越後守義顕の末葉」とある。 【3】加賀の堀江氏 ― 第一項の一族で、『三州志』に「江沼郡の熊坂堡は、寿永二年に平氏が後軍を備えた所である。その後、弘治元年に朝倉宗滴が加賀の一揆を撃ったとき、越前方の将・堀江中務丞景思がこの熊坂堡を焼き、山路から大聖寺へ攻め入ったことがある」とある。また『諸国廃城考』に……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

堀江ホリエ和名抄、越前國坂井郡に掴江郷、餘戶〓を收め、保里江と註す。又武藏に堀江庄、堀江郷、若狹、越中、阿波に堀江庄、その他、攝津、遠江、下總、讚岐伊藤等、此の地名多し。 1利仁流藤原姓越前の豪族にして、河口庄司齋藤氏の裔也と云ふ(次項參照)。氏人は朝倉始末記に堀江七郞景重·見え、朝倉敏景に服從することを載せ、又富樫記に「越前國堀江を始めて、上意に隨ひ、政親に合方す。政親は加賀國高尾の城に體る」など見え、又堀江中務承景忠あり、第三項參照。永祿年中に至り、堀江の一族·朝倉義景に擊殺せられ、其の家退轉す。蘆原村大字番田に其の前址あり。又堀江城は堀江承經·築くなど見ゆ。 2清相蓬氏新回坂井郡堀江郷より起る。前項と同族か。星合系圖には「堀江左衞門大夫義藤は、新田義顯六世の孫也。義顯に二子あり、嫡子ほ越前堀江に居り、二男は同國本庄に居る。故に嫡子は堀江と號す。義藤の祖父義賢·初めて勢州に到り、大河内親〓に仕ふ。爾れより大河內家臣となる」と云ひ、中興系圖に「堀江·清和源氏、新田越後守義顯の末葉」とあり。 3加賀の堀江氏第一項の族人にて、三州志に「江沼郡熊坂堡·壽永二年、平氏の後軍備せし處なり。其の後弘治元年、朝倉宗滴·賀賊を擊つとき、越將堀江中務丞景思·此の熊坂堡を燒きて、山路よリ大聖寺へ攻入りしことあり」と又諸國廢城考に……

姓氏家系大辞典 第5巻 476コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

堀江と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

堀江に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が堀江の前後にある名字です。

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