竹間

たけまTakema

全国7685位 ・ 約1,130人

竹間(たけま)は、次の数条と通じており、併せて見よ。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たけま
ローマ字
Takema
全国順位
全国7685位
推計人数
約1,130人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

竹間をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takema読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 加賀国(石川県)
  • 石見国(島根県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

竹間(たけま)は、次の数条と通じており、併せて見よ。 【1】武蔵(東京都・埼玉県)の竹間氏 ― 「新編風土記」に「多摩郡竹間氏(日野本郷)、墳墓。小字四ツ谷にあり、畑のそばである。六尺四方ほどの塚で、その上に丸い碑を立て、文字もあるが摩滅して読めない。伝えるところでは竹間加賀入道の墓であるといい、竹間は天正の頃の人で、鉢形に住んでいた者である」と見える。 【2】雑載 ― 石見(島根県)などにも存する。 (このあと原文は別の見出し「武間」の記事に移っている)武間(たけま)は、前後の数条と通じており、併せて見よ。 【1】秀郷流藤原姓足利氏族 ― 佐野讃岐守有綱の八男・鍋山左京介有利は、錫山武間城主で、また武間山城守と称した。建久元年、近江国(滋賀県)に移った。その子に利高・利長などがある。 【2】雑載 ― 山崎城主本多肥後守の老臣に武間茂手木利庸という者が見え、また「武鑑」山崎本多藩老臣にこの氏を載せている。そのほか石見などに存する。 (このあと原文は別の見出し「嶽間」の記事に移っている)嶽間(たけま)は、前後の数条と通じている。……(中略)名和氏の族である。竹万(たけま・ちくま)条を見よ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

竹間タケマ次の數條と通ず、併せ見よ。武藏の竹間氏新編風土記に「多摩郡竹間氏(日野本郷)、墳墓。小名四ツ谷にあり、畑の傍なり。六尺四方許の塚にて、其上に丸き碑を立て、文字もあれど漫滅してよむべからず。相傳ふ、竹間加賀入道が墳なりと、竹間は天正の頃の人にて、鉢形に住居せし者なり」と見ゆ。 2雜載石見等にも存す。武間タケマ前後數條と通ず、併せ見よ。 1秀〓流藤原姓足利氏族佐野讃岐守有綱の八男鍋山左京介有利は、錫山武間城主にして、また武間山城守と稱す。建久元年、近江國に移る。その子に利高、利長等あり。 2雜載山崎城主本多肥後守の老臣に武間茂手木利庸なる者見え、又武鑑山崎本多藩老臣に此の氏を載す。その他、石見等に存す。嶽間タケマ前後數條と通ず。……名和氏の族也竹万タケマチクマ條を見よ。

姓氏家系大辞典 第4巻 31コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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