竹俣
たけまたTakemata
全国9144位 ・ 約857人
竹俣(たけまた)は、 【1】佐々木氏族 ― 越後国沼垂郡の豪族で、同郡の竹俣城(虎丸村)は竹俣氏の故城である。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たけまた
- ローマ字
- Takemata
- 全国順位
- 全国9144位
- 推計人数
- 約857人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
竹俣をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Takemata読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 筑後国(福岡県)
- 筑前国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
竹俣(たけまた)は、 【1】佐々木氏族 ― 越後国(新潟県)沼垂郡の豪族で、同郡の竹俣城(虎丸村)は竹俣氏の故城である。この氏は加地新左衛門尉佐々木実秦の四男・筑後守信綱の後で、信綱が竹俣庄の地頭職となり、これを祖とする。後裔の筑前守春光の子・三河守朝綱は、景勝の代に越中(富山県)の魚津城で自害し、名を後世に残した。同郡の上光城(上光村)は三河守朝綱の持城であったという。 また、これより前、岩谷城(岩谷村)の城主に竹股八之丞・同奥四郎があり、反逆の事があって、永正四年、上杉の兵がこれを陥れた。同族であろうか。また謙信様御分城持大名衆に竹股筑前守・竹股三河守を載せ、また後世、米沢藩の老臣に竹股美作当網があり、充綱の孫、本綱の子で、学問が深く、治績を挙げた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
竹俣タケマタ1佐々木氏族越後國沼垂郡の豪族にして、同郡竹俣城(虎丸村)は竹俣氏の故城也この氏は、加地新左衞門尉佐々木實秦の四男筑後守信綱の後にして、信綱·竹俣庄の地頭職となる、これを祖とす。後裔筑前守春光の子三河守朝綱は、景勝の代に越中の魚津城に自害し、名を末代に殘す。同郡上光城(上光村)は三河守朝綱の持城なりと。又これより前、岩谷城(岩谷村)の城主に竹股八之丞、同奥四郞あり、反逆の事ありて、永正四年、上杉の兵之を陷る。同族か。又謙信樣御分城持大名衆に竹股筑前守、竹股三河守を載せ、又後世、米澤藩老臣に竹股美作當網あり、充綱の孫、本綱の子にして、學深く、治績擧る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
竹俣と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
竹俣に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「竹」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が竹俣の前後にある名字です。
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